大念佛寺に長慶寺 | すくらんぶるアートヴィレッジ

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・・・続大学ミュージアム(4)で「吉村長慶」ならびに「長慶寺」を紹介しましたが、今回はなんと「大念佛寺」です。大念佛寺南門(元・古河藩陣屋門)を入りますと、真新しいトイレそして美しく咲き誇ったサザンカが迎えてくれました。



ねん1


1938大念佛寺」/登録年月日:20031201

547-0045阪市平野区平野上町1-7-2606-6791-0026

http://www.dainenbutsuji.com/

1127年、聖徳太子信仰の厚かった良忍上人が四天王寺に立ち寄った際、太子から夢のお告げを受け、鳥羽上皇の勅願により平野に根本道場として創建したのが始まり。平安末期以降広まった念仏信仰の先駆けとなり、国産念仏門最初の宗派で日本最初の念仏道場といわれる。その後、火災などで荒廃するが、元禄期(1700年頃)に本山として体裁が整い、現在に至る。融通念佛宗の総本山。本堂は、前身建物の焼失後ほぼ同規模で建設された。入母屋造平入で桁行7間梁間8間。屋根は本瓦葺を模した銅板葺。内部は小組格天井を高く張り正側面に縁を巡らし背面側には廊下を通す。棟梁は11世伊藤平左衛門で近代の大規模木造仏堂の好例である。


開宗900年記念法要再興大通上人300回御遠忌法要

平成27年日~日「万部おねり」

聖聚来迎会と阿弥陀経万部会が融合された融通念佛宗総本山大念佛寺最大の伝統行事の通称名です。聖聚来迎会は無量寿経の中の「その人、寿(いのち)が終わる時にあたって、私は極楽浄土から25菩薩を従えて、その人を迎えに来るであろう」という阿弥陀仏の願いを具体的に表現した儀式であり、1349年(正平1415日「観音様の蓮台に乗り、阿弥陀如来のお導きに従って、生身のまま往生の本懐を遂げるまでの儀式を営んでみたい。聖聚来迎の様相を実際にこの眼で見、また世の多くの人々にも見ていただきたいものだ」と中祖法明上人自ら行者となり、臨終不退、一念往生、上品上生を遂げるまでの法明上人の堅固な意思により始まったことを起源としています。「阿弥陀経万部会」は江戸時代第四十九世尭海上人の頃、「阿弥陀経を一万部読誦して、極楽往生と檀信徒の先祖供養」を願いとしてはじめられました。


・・・「万部おねり」は毎年楽しみです。


ねん2


・・・この縁の下の空間こそ、幼少期の遊び場でした。久しぶりにもぐってみました。


ねん3


「小川伊高公顕彰碑」

小川伊高石清水八幡宮の社司で1321年(元亨元)交野郡茄子作村において法明上人に『十一尊天得如来』画像を伝授したその人である。その後伊高の子孫は永く平野郷に住し、法灯の外護者となったと伝わる。この碑は伊高の25代子孫が先祖の偉業を称えて1985年(昭和60)に建立された。

法明上人1279年(弘安2)摂津国深江で生まれ、幼名を信貴千代と称した。父は後宇多天皇に仕えた清原右京亮守道、母は河内枚岡神社の神司の娘と言われている。相次いで肉親の死に遇い世の無情を感じて出家、高野山に登り千手院谷真福院の俊賢法師の許で出家し、法明坊良尊を号した。初め密教を修学したが、のち念仏に帰依し43歳の時、石清水八幡大士の神勅により、融通念仏宗第7世の法灯を継承し、集団の基礎を固めた。このことから上人は中興の祖と称えられている。晩年は故郷深江に隠遁し、念仏三昧の生活を送った。1349年(貞和5)6月1371歳で示寂。

角田拾翠19091992)句碑



ねん4


大念佛寺に吉村長慶」さんの石造物がありました。

吉村長慶さんは、私財を投じて畿内各地社寺におびただしい数の石造物を奉納されています。そのなかには、自らの姿を写したものも多数見られユニークさを際立たせています。圧倒的に多いのは長慶さんの故郷・奈良県です。それではなぜ、大阪市平野区の大念佛寺に長慶さんの石造物があるのかというと、吉村家が代々「融通念佛宗」の信徒だったこと、長慶さんが第59世法主管長・山上戒全さんと親交があったことから、ここに石造物が建立されたようです。


ねん5


・・・ちょっと勇気がいりましたが、のぞいてみました。


石造物で最もユニークなのは、正面に丸窓がある約1m四方の石棺です。その下には「吉村長慶」とあり、製作時期は1922年(大正11)で、長慶さんが生前に作られた寿墓(生前墓)です。丸窓からのぞくと、正座姿長慶さんがおられます。



※以下を参考にしました。

【再掲】「宇宙菴吉村長慶」著:安達正興/奈良新聞出版

http://homepage2.nifty.com/lite/hard_column.html

奈良新聞社は、幕末の「奈良町」に生まれ、地元では「三尺将軍」と呼ばれ、明治から昭和の激動の時代を生きた奇豪・吉村長慶の破格の人生を追った人物評伝『宇宙菴吉村長慶』を発行。奈良市出身で、北欧・ノルウェー移住者の安達正興氏が、没後70年を経て資料も極めて乏しい中で関係者や資料を探し出し、郷土の偉人・奇人の78歳の人生の軌跡を、豊富な写真資料を添えて冊にまとめました。長慶は質商・金融業北浜の相場師として活躍し、稼いだ資金を生涯にわたって200を超える石造物の制作につぎ込みました。お抱えの石工を雇い、私費で佐保川などに橋を架け、石灯、道標、石碑、自像、墓標、磨崖仏などを奈良、京都、大阪、和歌山(高野山)の近畿各地の神社仏閣に奉納。一方で、奈良市議、「宇宙教」の唱導者、長慶寺の住職、ルポ「清国事情」の執筆者、「世界平和会」の創設者、「畿内遷都論」の提唱者とさまざまな顔を持つ、地球的な視野で行動した独立自尊の思想家、一級の「実践的知識人」でもありました。その破天荒な生きざまは、閉塞感の中に生きる現代人に、活力を与えてくれます。