・・・なぜ「安堵町」なのか、文章ばかりになりますが、まず読んでみてください。
★1886年6月~1963年6月【富本憲吉】
1886年(明治19)6月、富本憲吉は東安堵村の庄屋をつとめた旧家の長男として誕生。安堵小学校、斑鳩高等小学校を卒業し、郡山中学校まで8Kmの道のりを徒歩で通学しました。1904年(明治37)親族の反対を押し切って東京美術学校へ入学、建築図案を専攻した。1908年(明治41)東京美術学校在籍中に私費留学。ロンドンに留学し、エジプト、ペルシャ、インドの各地を巡り、1910年(同43)に帰国。工芸図案家として、本で初めて試みた自刻木版画は反響も大きく版画ブームを招来しました。バーナード・リーチと親交を結び、1915年(大正4)東安堵の槌屋に本窯を築き、陶芸家となりました。1926年(同15)東京に転居、国画会に工芸部を創設する。作品は、国画会、新文展に発表。1935年(昭和10)帝国美術院会員。1946年(同21)郷里に帰り、翌年新匠美術工芸会を結成。戦後は京都に移るが、その半世紀に及ぶ作陶活動を通じて、工芸における個人作家の道を開拓する先導者となりました。1950年(同25)京都市立美術大学教授、1953年(同38)に学長を務めた。1955年(同30)重要無形文化財保持者(色絵磁器)に認定。1961年(同36)文化勲章を受章。1963年(昭和38)6月、人間国宝でもあった富本憲吉の告別式が生家で営まれました。
・・・名前は知っていました。
★1974年11月~2012年5月「富本憲吉記念館」
639-1061奈良県生駒郡安堵町大字東安堵1442/0743-57-3300
富本と親交があった地元の実業家・辻本勇(1922~2008)さんが生家を譲り受け、私費を投じて整備して1974年11月に「富本憲吉記念館」を開館しました。以前からこの地にある蔵を改修した「展示室」と、大阪市内から移築された大正時代の土蔵を改修した「第二展示室」と、2ヶ所の展示スペースがあります。時代別に「大和時代」「東京時代」「京都時代」と分類されて展示してあります。富本憲吉は、「模様から模様を作らない」というポリシーを持っていて、安堵の自然をモチーフとした、過去の伝統に縛られない図柄を編み出していきました。代表的な「羊歯文様」「大和川急雨」、安堵の風景を描いた「村落遠望」といった図案や作品をじっくりと見ることができます。富本憲吉記念館では、「作品の写真撮影はOK。それをネットに掲載するのはNG」という方針です。本館と陳列室の間の一角、展示物だけではなく、細かなところまで見事にしつらえてあります。奥には、富本憲吉が愛した「離れ屋」があります。終戦後の2年間をここで過ごしたという建物で、館長の辻本さんとの交流もこの部屋から始まったそうです。
・・・その頃は知りませんでしたし、知ったとしても「行こう」とは思わなかったでしょう。
★2012年5月「富本憲吉記念館」閉館
辻本氏が収集した富本作の作品、資料を展示公開していたが、2012年5月にいったん閉館。記念館は辻本氏没後、遺族は奈良県や地元安堵町など各方面に運営の移管を打診したが、結局、受け入れ先は見つからなかった。所蔵していた主な陶磁器作品は現在、兵庫県陶芸美術館(篠山市)や大阪市立美術館に分蔵されている。
記念館にはこれらの作品とは別に、リーチとの往復書簡や大和を代表する著名な文人で郡山中学時代の恩師・水木要太郎氏宛ての葉書をはじめ、多くの文書類や素描、図案などもあった。これらのうち約660点は富本が京都市立美術大学(現京都市立芸術大学)に陶磁器専攻を創設し学長も務めた縁で、京都芸大に寄贈された。
・・・「閉館」と聞くと、とても残念に思いますし、行っとけば良かったなんて。勝手なもんです。
★2009年6月20日~2009年9月23日「受贈記念・富本憲吉展」
兵庫陶芸美術館(篠山市今田町上立杭/079-597-3961)
「富本憲吉記念館」(奈良県生駒郡安堵町)の創立者であり、兵庫県在住の収集家として知られた故・辻本勇氏(1922-2008)の遺族から、このほど富本憲吉(1886-1963)作品の寄贈(2008年12月 陶磁器120点、書画30点)が兵庫陶芸美術館にあり、それを記念した「受贈記念・富本憲吉展」がテーマ展として開かれた。富本憲吉は、日本の現代陶芸を多少なりとも系統的に見ていこうとする場合、避けては通れない重要な作家だ。東京美術学校で建築と室内装飾を学び、イギリス留学を経て、生活に密着した芸術としての工芸を志すようになった。やがてやきものに傾倒していき、日本の近代陶芸への歴史の扉を拓いた作家として、我が国の陶磁史上、欠くことのできない陶芸家として位置づけられている。また作品は造形面から見ても、装飾性においても独創的であり高く評価されていて揺るぎない。また富本と同じ奈良・安堵町出身の辻本勇氏は、郷里で富本と出会って親交を結び、その人柄と芸術に深い尊敬の念を抱いたといわれている。そして、事業のかたわら富本作品を収集するようになり、作家の没後は、私財を投じて記念館の設立に奔走し、同館開設後は収集した作品を広く一般に公開してきたよき理解者だった。今回の受贈記念展に展示されている作品は、大和時代(1912-1925)42点、東京時代(1926-1945)59点、京都時代(1946-1963)19点と、各制作ステージに及んでいて偏りがない。技法でいえば、楽焼、土焼、青磁、白磁までの作品が含まれ、象嵌、筒描き、染付、色絵、金銀彩と多様多彩で、この作家の全貌をひと通り俯瞰することができる内容だ。とくに大和時代では楽焼などの最初期の作、独特な形状の白磁の壺や色絵磁器などは東京時代を代表するものとして見ることができる。また、京都時代からは、この作家を象徴する作域ともいえる作品なども展示されていて見逃せない。なお、芸術と生活の結びつきを視野に入れていた作家らしく、一品制作されたものばかりでなく、日常生活で使われることを目的とした作も含まれていて、これらは見ていると親近感も湧いてくる。この作者ならではの工芸思想の現れの一端として受け取れるだろう。コレクター・辻本勇氏の見識と情熱、富本陶芸の創意と美を重ね合わせて見て楽しむことのできる展覧でもある。
・・・兵庫陶芸美術館は、遠いけど、(そのうち)行ってみたいミュージアムです。