船場物語(20) | すくらんぶるアートヴィレッジ

すくらんぶるアートヴィレッジ

●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●

・・・村野藤吾さん設計のビルが、近くにもう1棟(軒)ありました。


むらの1


1962森田ビルディング」/設計:村野藤吾

541-0051大阪市中央区備後町2-4-606-6222-5668

http://www.mbk-grp.co.jp/

黒く光っているのは「黒御影石」だからです。地下に降りていく階段オブジェに村野さんらしい特徴があります。


むらの2


1971「旧瀧定大阪本社ビル」/設計施工:竹中工務店

541-0051大阪市中央区備後町2-3-6

繊維専門商社の瀧定大阪の旧本社ビル。元は瀧定(本社:名古屋市)の大阪支店ビルとして建設。2001年の分社に伴って瀧定大阪の本社となった。2013年5月、マルイト難波ビルに本社移転後、ビルは閉鎖された。事務所のほか、商品センターも併設されていた。跡地の利用法は明らかになっていない。「住友不動産」が「瀧定大阪」から2013年11月29日に取得しています。閉鎖されて仮囲いで囲まれ解体が始まっています。


むらの3


1977「船場サテライトビル瀧定大阪別館」

541-0051大阪市中央区備後町2-5-6

瀧定大阪の別館ビルとして使用されていた。2013年の本社移転に伴って建物は閉鎖。その後、解体された。跡地には「(仮称)中央区備後町マンション新築工事」として地上15階建ての共同住宅が建設される。2016年3月完成予定。事業主は京阪電気鉄道と京阪電鉄不動産。敷地面積は1194です。

・・・ビジネス街のマンション化がどんどん進んでいるようです。この時期には、普段見ることのできないビル側面が見えたりするので、寂しいような嬉しいようなです。


むらの4


1962「綿業会館・新館」/設計:渡辺建築事務所

541-0051大阪市中央区備後町2-5-806-6231-2665日本綿業振興会

綿業会館横の同系色の新館はクラシックとモダンの微妙なバランスがいい。白いコンクリート網目の鉄塔素敵です。

一般財団法人日本綿業振興会は1956年、日本でのコットン・プロモーション計画を実施するため設立された団体です。日本紡績協会、日本綿花協会、日本綿スフ織物工業連合会、日本染色協会、日本織物中央卸商業組合連合会の5団体により構成されています。現在は、優れた日本製綿素材を使用した綿製品にコットン・マークを添付するジャパン・コットン・マーク計画、CCI国際綿花評議会と締結した協力協定に基づいたCOTTON USAマークキャンペーン、有名メーカーとの協力広告、ファッションおよび綿素材の情報サービス、市場調査、パブリシティ活動、教育出版等を実施しています。


むらの5


【34】1931「綿業会館(綿業倶楽部)」/重文指定年月日:20031225

設計渡辺節、ヘッドドラフトマン:村野藤吾

541-0051大阪市中央区備後町2-5-806-6231-4881

http://www.mengyo-club.or.jp/

昭和初期のこと、大阪は“東洋のマンチェスター”とうたわれた。日本が紡績業でイギリスを抑え、綿製品輸出世界一となった。その賞賛の記念碑的な象徴として、故 岡常夫東洋紡専務の遺言(日本綿業の進歩と発展を図るため)として寄付された100万円と業界からの50万円の寄付により、会員制倶楽部の会館が着工された。大阪の代表的建築家・渡辺 節氏が設計、1931年(昭和6年)竣工された。同時期行われた大阪城再建費用は48万円。この綿業会館がいかに贅を尽くした建築物かが、うかがえる。戦前・戦後にわたって、リットン調査団、ルーズベルト大統領夫人、ヘレンケラー、その他歴代の首相など、歴史上に残る人達が来館。世界各国の様式を取り入れた会館は、優雅かつ荘重な各室の意匠とともに国の重要文化財として、この地で今なお美しい風格を放っている。激動の昭和、戦禍、大震災、すべてをくぐり抜けて、多くの深い遺志を貫きつづける逞しい存在にただただ、脱帽。会員制施設のため、見学は月1回のみ(第4土曜日有料)。


・・・残念ながら、まだ中には入ったことがありません、いずれまた。