・・・「愛珠幼稚園」のすぐ前にあるのが、
◆緒方ビル「除痘館記念資料室」
541-0042大阪市中央区今橋3-2-17緒方ビル4F/06-6231-3257
http://www.klinik-ogata.or.jp/ogata_building/
緒方高志、かの緒方洪庵の末裔であり、現クリニックおがた院長でもあります。地域医療の発展と、現在さまざまな問題をかかえる産婦人科の将来について真剣に取り組む所存です。江戸末期に天然痘(疱瘡)予防の普及活動の拠点となったのが、緒方洪庵を核とする大阪の「除痘館」です。緒方ビルはその跡地にあたります。当資料室は、「除痘館」の活動と足跡を記念して、資料の展示、公開をしております。ぜひお気軽にお立ち寄りください。
大阪の除痘館は牛痘種痘をおこなう場所として緒方洪庵(1810-1863)が中心になって嘉永2年11月7日(1849)に古手町(道修町)に開設した。それは痘苗がはじめて長崎へ渡来した年である。大阪の種痘活動はまことにさかんで、安政5年4月24日(1858)には全国にさきがけて官許を得た。万延元年10月(1860)にはこの場所すなわち当時の尼崎町1丁目、現在の今橋3丁目に移って事業を拡張した。昭和53年(1978)10月吉日
ロビーに種痘をしている場面が展示されています。漫画家手塚治虫の曽祖父手塚良庵(後に手塚良仙)は、緒方洪庵の下、適塾において蘭学と種痘術を学んだ。そのことを手塚治虫は自著『陽だまりの樹』の中に描き残しておられます。緒方ビル4F除痘館記念資料館では、2007年春より洪庵記念会が洪庵や適塾関係者の子孫、縁者たちから寄せられた日記・文献・肖像画など約50点を展示している。
【10】1938「日本生命保険相互会社」設計:竹腰健造(長谷部竹腰設計事務所)
541-8501大阪市中央区今橋3-5-12/06-6209-4500
日本生命創業のアイデアは滋賀県彦根市で生まれました。彦根の銀行家、弘世助三郎は、地元の相互扶助の組織に古くから関係していました。これは皆で出し合い積み立てたお金を、万一の震災や貧困、病気などのときにあて、お互いが助け合うというもので、彼はこの相互扶助の事業に深い関心を抱いていました。そしてこの相互扶助のしくみをいっそう整備して、社会に広く実施したいという思いの中、彼の呼びかけで関西財界が結集。明治22年7月4日、「有限責任日本生命保険会社」の創立願が大阪府知事に受理されました。ところが、開業はそれから2ヶ月半を経た9月20日のこととなります。それは、経営の根幹をなす保険料表へのこだわりでした。相互扶助の精神を貫くため、安定的な経営と契約者の負担軽減の両立を図ろうとしたのです。保険料表の作成のために、大阪本店から東京に一人の職員が派遣されました。そして、この職員とある数学者との一期一会の出会いが、その後の日本生命の進む道を決めることとなりました。(詳しくはHPで)
建築は、第一期・昭和14年(1939)ビルの北半分を完成させたが、戦争で中断しアメリカ軍の接収が解除されて後、第二期・昭和37年(1962)南側半分の工事が行われた。縦長窓が並び、装飾が少なく、全面に御影石が貼られた重厚な外観です。最上部には軒蛇腹装飾のある新古典主義のデザインを採用しています。
http://www.nikken.co.jp/ja/archives/history/04_03.html
◆「懐徳堂旧阯の碑」/日本生命保険相互会社本店本館南側壁面
【碑文】この地は徳川時代の学校として名高い懐徳堂の跡である。享保十一年の開学から明治二年の閉鎖まで百四十年の間、大阪文教の中心であった。大正の初年に先儒の偉業を顕彰して記念会が設立されたので、当社も協賛してこの碑を建てた。撰文は記念会の創設者西村天囚先生、揮毫は懐徳堂第二代の学主中井甃庵先生の玄孫たる中井天生先生である。
【懐徳堂】
享保9年(1724)大阪の地に誕生した三宅石庵を学主とする町人のための学校です。身分の上下に厳しい時代のなかで学問の場における平等を認め、儒教的な倫理道徳を重視する一方、自由な学風で合理主義や先見性を育て大きな業績を残しました。また天保8年(1838年)に、その流れを汲む幕末の蘭方医〈緒方洪庵〉が開業と供に創設した「適塾」には、全国から門人が殺到し、談論風発の気風は近代日本の礎を築いた多くの人材を輩出しました。福沢諭吉、長与専斎、橋本左内、大島圭介、高松凌雲などがあげられます。両校は明治の初めに閉鎖になりますが、「懐徳堂」と「適塾」の学問の系譜は、★大阪大学へ受け継がれ今に至っています。
※日本生命保険相互会社南館/大阪市中央区今橋3-16
工期:2007年4月~2009年1月(日建設計)
日本生命本館の対角に位置し、本館との関係を意識した建築とした。本館のもつ歴史と進取の精神を表現し「温故知新」を外観の主題としている。南北面は本館の流れを汲む窓廻りとディテールを持たせ、PC版の割付に工夫を凝らして江戸切りを施した花崗岩を打ち込み、しっかりと石が積み上がった印象とした。東西面には現代的な水平庇を積層し、清清しく背高く構成した。足元は高い天井を持つピロティがエントランスホールにつながる、おおらかな連続を持ち味としている。充分な信頼性・安全性と、将来にわたる柔軟性を追求した。四周街路沿いの歩道状公開空地のほか、1階ピロティを公開空地として活用した総合設計制度を採用し、街角に緑豊かな潤いのある歩行者空間を提供している。
★日本生命保険相互会社新東館/竣工:2015年1月
日本生命の本店・東館(地上7階地下3階)を取り壊し、跡地に新東館を建設するオフィスビルの建替え計画です。この建替え計画に伴い、日本生 命は大阪市内の7つのビルに分散している事務サービス部門の約5000人を新東館、本館、南館の3館に集約し業務の効率化が図られます。
・・・周辺も整備され、まもなく竣工です。