◆密印山「持明院」
543-0071大阪市天王寺区生玉町2-15/06-6771-6280
寺院建立は不詳で、明治初年の神仏分離の際、生玉十坊の一つ「曼陀羅院」を吸収合併したと言われています。また、このこの地域は、豊臣秀頼の幼なじみであり、豊臣家の重臣の木村長門守重成の屋敷跡とされています。境内には「橋姫大明神」、「卯の日大明神」、「二十日大明神」の3神が祀られおり「橋姫大明神」は縁切り神様、「卯の日大明神」は縁結びの神様、「二十日大明神」はお稲荷様で商売繁盛の神様です。
・・・「安楽寺」前の歩道橋をのぼり、「谷町筋」を越えて「東平北公園」をめざします。
◆「薄田泣菫」文学碑/大阪市中央区上本町西4丁目1番
http://www.city.osaka.lg.jp/keizaisenryaku/page/0000058590.html
道を挟んで北側にあるのが「東平北公園」。公園の西半分は立派なフェニックスを中心とした園地で、戦災復興区画整理の記念碑、岡山県出身で大阪や西宮で暮らした詩人・薄田泣菫(1877~1945)の詩碑があります。「金剛の歌」は、自ら谷町8丁目の本長寺に仮寓していた頃、毎朝早起きして付近を散歩し、華やかな朝日を浴びて金色に輝く葛城山嶺に感動して歌ったもの。 公園の東半分は遊具広場になっており、小さめの複合遊具、ブランコ、砂場、鉄棒、パーゴラなどがあります。道を挟んで南にある「東平南公園」に広めの広場があり、子どもたちはここでのびのび遊べるようになっています。
【参考】全国選抜中等学校野球大会歌」(後に「選抜高等学校野球大会歌」)
●初代「蒼空高き甲子園」(1931/作詞:長谷川海太郎/作曲:陸軍戸山学校軍楽隊)
●二代目「陽は舞いおどる甲子園」
(1934/作詞:★薄田泣菫/作曲:陸軍戸山学校軍楽隊)
●三代目「今ありて」(1993/作詞:阿久悠・作曲:谷村新司)
※2008年(平成20年)3月22日、第80回大会を記念して開会式直前に行われたメモリアルイベント(司会:毎日放送アナウンサー・結城哲郎)では冒頭で当大会歌が演奏・合唱されリニューアル(第1期工事)された甲子園球場に16年ぶりに『陽は舞いおどる甲子園』が響き渡った。
・・・「西光院」前の横断歩道で「上町筋」を渡って「光明寺」、このあたりは「城南寺町」というだけあって、ほぼ「お寺」です。
・・・「竹林寺」「蓮生寺」「誓安寺」「誓福寺」「長安寺」「龍渕寺」「顕祥寺」
・・・「極楽寺」「慶恩院」「栄松院」「天龍院」「楞巌寺」「天然寺」「大通寺」
・・・むむむ、きりがない。