神戸北野(7) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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・・・新年あけまして おめでとうございます


今年のスタートは、年末からの「神戸北野」を継続することにしました。「阪神淡路大震災」から「20年」という節目の年でもあります。


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◆ヒルサイドテラス

650-0004神戸市中央区中山手通1-22-13

・・・素敵な案内板、そして素敵なお店もたくさん入っているビルです。


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◆にしむら珈琲

http://www.kobe-nishimura.jp/index.html

神戸北野のハンター坂の南角。テーブルがたった3つのちいさな珈琲店がすべての物語の始まり。1948年は戦争が終わって3年後の日本では、珈琲豆のかわりに大豆の“代用コーヒー”にしかお目にかかれなかった時代に“誇り高き極上の一杯のコーヒー”を呈してくれるたった一人の女主人の店。その名は「にしむら珈琲店」。この一杯のコーヒーに込められているのは、無数のイマジネーション。ブルーマウンテン、キリマンジャロ、モカ・・・ブレンドにするのはもったいない程個性をもつ一級品。上等の豆特有の豊かな風味をストレートに味わっていただきたいオーナーの想いが、日本のコーヒー界に初めてストレートコーヒーというメニューを提案。アイデアは広がり、初めてのストレートコーヒーの他、カプチーノ、ヴィエナコーヒー、コーヒーゼリー・・・にしむら珈琲店は業界のパイオニアとして大きな役割を果たします。一杯のコーヒーの感動と満足が、昭和39年に初めて登場して以来のトレードマーク的存在の肉厚のコーヒーカップに込められています。

中山手本店

神戸市中央区中山手通1-26-3078-221-1872

★「北野坂にしむら珈琲店

神戸市中央区山本通2-1-20078-242-2467

http://www.kobe-nishimura.jp/kitano/

の絡まる赤煉瓦の建築は、オーナー川瀬喜代子が戦時を過ごした上海の英国風洋館をモチーフにしたもので、今では北野坂のランドマークとなっています。アンティークに囲まれた優雅なコーヒータイムで、きっと外とは違う時間の流れを感じて頂ける事でしょう。員制当時、2階はフレンチレストラン「シェ・ラ・メールにしむら」として、こちらも多くの美食を愛する方のご愛顧を頂きました。今はその美点も兼ね備えたカフェ・レストランとして、ランチやディナーといった時間帯を問わない自由なシチュエーション で本格的なお食事をお楽しみ頂けます。シェフ中小路の創作料理は、フレンチを軸としながら四季折々の素材を駆使し新鮮な驚きを提供致します。

三宮店

神戸市中央区琴緒町5-3-5グリーンシャポービル1F078-241-2777


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◆「象ビル北野坂」 http://www.gem-kobe.jp/group/

650-0004神戸市中央区中山手通1-22-10

二頭の象が門番しているこのビルは、神戸市内外の方々から「象ビル」と呼ばれています。ファッションタウン・北野坂に面した象がシンボルの「象ビル」。2012年12月、1Fエントランスをリニューアルしました。入口真正面の時計は阪神淡路大震災のあった時刻で止まっています。このビルにはあのイチロー選手も通われていた牛タン専門店「牛や・たん平」さんが入っています。他にはクラブBeber(べベル)も入ってます。


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◆東門キリンビル

神戸市中央区中山手通2-1-17キリンビル

http://www.gem-kobe.jp/group/

三宮の繁華街・東門通り入口に位置し、シンボルのキリン像から麒麟ビルとして親しまれています。山手幹線に面した麒麟ビルに、5時46分をさし、止まったままの大時計がモニュメントとして残されています。「MEMORIAL」の文字がなければ、現在使われている時計と変わりはありません。ビルを背に信号待ちをしている人には見えず、横断歩道を渡り、振り返ると時計のあることに気付きます。忙しく行き交う人たちの目には留まらないないけれど、しっかりと震災のあったことを語り続けています。

◆「いくたのともしび」作:芝良空昭和35年)/神戸市中央区北長狭通1-10-6

神戸三宮ライオンズクラブ結成25周年記念昭和60年12月いくたロード商店街

【参考】

・中尾神社/神戸市北区有野町262

拝殿右横に奉安されている神馬像は2代目、彫刻家芝良空有野郵便局長だった前北三二氏が奉納したもの。

ポートアイランド北公園 神戸市中央区港島2-3

世界連邦運動の精神をうたう「神戸平和の塔」がある。昭和53年6月1日、神戸市の世界連邦平和都市宣言15周年を記念し、市から敷地の提供を受けて建立された。塔は地元出身で神戸空襲の体験者だった彫刻家芝良空」さんの作品。世界の4大陸(ユーラシア、南北アメリカ、アフリカ、オセアニア)を四人の若い男女が力を合わせて支えるデザインで、台座に湯川秀樹博士の筆で「世界は一つ」と刻まれている。同年以来、この塔前では毎年、「世界平和祈願祭」(主催/世界連邦運動協会神戸支部・世界連邦神戸婦人の会)が開かれてきた。

六甲山みよし観音神戸市灘区六甲山町北六甲

昭和39年、日東航空旅客機が尼崎市の田能遺跡に墜落した際、失神した乗客7人を救出し、8人目を救出しようと機内に入った瞬間、旅客機が爆発し、その若い命を散らした殉職スチュワ-デスを讚えるために作られました。観音像は右手を大空に差しのべています。建立当時、女優の吉永小百合さんらが「みよし観音賛歌」を寄せ、建立15周年には芝良空氏が観音像の側に、「みよし観音賛歌」の歌碑を建立しました。毎年8月1日に大空のまもり祈年祭が行われています。


・・・素敵なレトロな電話ボックスがあったので、そのデザインについて調べてみました。


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【参考】公衆電話が始めて設置されたのは1900年(明治33年)新橋駅(中等待合室前)と上野駅(駅長室前)ともに通路に置かれたボックス型は同じ年に京橋に六角錐型のものが設置されたのが始まりこのとき使われた電話機は、アメリカで使われていた名称の「オートマチック・テレホン」を直訳して「自働電話」と名付けられました。交換手に通話接続を依頼してから必要に応じて10銭または5銭硬貨を投入するものでした。当初の市内通話料は、1通話(5分間)15銭という高額でしたが、2年後の明治35年に5銭に値下げしたところ、一気に利用者が増え自動電話が広く浸透しました。1925年(大正14年)に自動交換方式が採用され、紛らわしいため公衆電話と改称された


・・・各地で若干の違いはあるようですが、日本初の電話ボックス「京橋型」を基本にして、復刻されたようです。今となっては、電話ボックスそのものが希少となりました。しかし、震災をはじめとする災害時における連絡手段として、公衆電話について再考が必要かもしれません。また、街の景観という視点からも「赤丸ポスト」とあわせて考えていただきたいものです。