神戸塩屋(1) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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の北野町

JR「塩屋駅南側は歩道橋を降りるとすぐ国道2号線に出る。北側は閑静な住宅街が拡がっている。 第二次大戦中、垂水区、特に塩屋駅周辺は大規模な空襲を受けず、現在も駅周辺は戦前からの古い住宅が建っていたりする。神戸港開港時、多くの西欧人が海と山の迫った風光明媚なこの土地を愛し、塩屋町丁目周辺は「第の北野町」とも言われる外国人居留地である。



しお1


http://realkobeestate.jp/blog/?p=204

神戸市の中心部から西へ電車で20分強。塩屋は海と山に囲まれた神戸の街の中でも、最も海と山が接近するエリア。接近といっても一部では山と海がつながっていて、宅地がなく崖地になっている所もあります。そこに辛うじて国道や鉄道を通したわけですが、塩屋が他の街と違ったのは、国道と鉄道以外は、山と海の近接によって広い道路が造れなかったことにあります。ここ数十年は道路を拡張し、車が通りやすい区画への変更を進める街づくりが盛んでした。反面、塩屋の街はその流れにまったく取り残された街でした。なぜなら海と山が接近する地形から物理的に道路を広くすることが出来なかったからです。古くからの細い路地のような道は、今の世となっては逆にその景色が貴重に感じます。ですので駅前商店街は駅降りてすぐにあり、大手スーパーにはない雰囲気を持った、昔ながらのローカルな野菜屋、魚屋、肉屋などがまだ残っています。塩屋の路地は古き良き街の風景を感じさせ、イタリアのベニスにあるような歩行者が主体の街の匂いを感じるわけです。

旧ジョネス邸

655-0872神戸市垂水区塩屋町1-1011-4

1919年にイギリス人貿易商F・M・ジョネス氏の私邸として建設され、1963年に建物を引き継いだ川崎重工業顧問弁護士だった山田作之助氏が現在の場所に移築、2010年には兵庫県『ひょうごの近代住宅100選』にも選出された建造物です。山田氏は塩屋の洋館保存に尽力されこの建物を移設保存。そして神戸地方裁判所の保存にも尽力をつくされ先頭にたって活動された方です。


しお2


2013/10神戸新聞「 旧ジョネス邸の解体始まる神戸垂水の洋館

地域住民の保存運動が実らず、マンションに建て替えられることになった大正期の洋館「旧ジョネス邸1」(神戸市垂水区塩屋町1)で25日、建物と土地を所有する開発業者「穴吹興産」(本社・高松市)による解体工事が始まった。11月末に終わる予定。同邸の保存運動を展開した住民グループは、出資金や寄付金を募って同社が売却額として提示した3億6千万円を工面しようとしたが達せず、現地保存は実現しなかった。この日は周囲を柵で覆う作業が中心。一方で、住民グループは邸内の部材の保存や再活用のため専門業者と作業。既に家具などの調度品や建具はほぼ搬出しており、玄関の格天井を傷つけないよう慎重に取り外していた。専門業者の男性は「チーク材の格天井を見たのは初めて。素材へのこだわりを感じる」と驚いた様子だった。



アルファステイツ神戸塩屋シーサイドテラスII穴吹興産株式会社

655-0872神戸市垂水区塩屋町1-1011-40120-408-113

http://www.a-shioya.com/



【参考】旧ジョネス邸を次代に引き継ぐ会

655-0872神戸市垂水区塩屋町3-5-17旧グッゲンハイム邸内078-220-3924

http://jones-shioya.tumblr.com/

設立:2013年8月9日、代表:森本アリ私達「一般社団法人 旧ジョネス邸を次代に引き継ぐ会」は、旧ジョネス邸を保存し、次の世代へ引き継ぐために、地元の有志が中心となって結成した団体です。私達は、地域や社会がほんとうに豊かなものになるためには、長年にわたって人の手で培われてきた文化と歴史が、生きた形で世代から世代へと受け継がれていくことが大切だと考えます。そのために、行政や専門家を含むさまざまな領域の人々と連携しながら、活動の輪を広げていきたいと思います。


しお3


◆旧グッゲンハイム邸

655-0872神戸市垂水区塩屋町3-5-17078-220-3924

http://www.nedogu.com/about/index.html

1階と2階に各々設けられた5連アーチのベランダを特徴とするコロニアルスタイルの西洋館は、1912年塩屋海岸を南に望む高台にドイツ人貿易商グッゲンハイムの自邸として建設された。設計はアレクサンダー・ネルソン・ハンセルと推定されている。グッゲンハイムが1915年まで居住し、その後複数の所有者を経て竹内油業の所有となってからは長期間同社の社員寮として使用されていた。阪神淡路大震災で被災して以降は空家となり取り壊される可能性も取り沙汰されていたが、2007年に塩屋在住のステンドグラス作家デュルト・森本康代(が保存及び維持管理の為に私財を擲って購入し、修復作業完了後、2007年10月から貸会場として提供を開始した。2008年2月から、定期的に一般への無料公開も実施している。


しお4


・・・もっと早期に訪問したかったのですが、やっぱり「遠い」なあというのが正直な感想です。


しお5


・・・しかしこの景色、まるで小旅行気分。せっかくなので、「塩屋」をしっかりこの眼で確かめたいと思います。