・・・病院関係で見つけた「カエル」ちゃんたちは、
★近鉄南大阪線・古市駅そして土師ノ里駅で見つけた「清水眼科」さん
583-0007大阪府藤井寺市林5-7-29KM土師ノ里メディカルビル2F/072-936-7711
★近鉄南大阪線・高鷲駅で見つけた「覚道歯科」さん
583-0881大阪府羽曳野市島泉1丁目24-8/072-938-3307
http://scuel.me/hospital/2723800912/
★奈良市ならまちで見つけた「龍栄鍼灸整骨院」さん
630-8352奈良県奈良市北風呂町37-1ならまちワンネスビル1F/0742-26-6121
http://jamma.org/search/nara/npo001054.html
・・・ついでに、奈良の神社やお寺で見つけた「カエル」ちゃんも紹介しておきましょう。「役小角」を追いかけて、奈良県御所市界隈を巡っていた時のことです。
★葛城一言主神社
639-2318奈良県御所市大字森脇432/0745-66-0178
http://www.city.gose.nara.jp/kankou/gra/1katsuragi_7hitokoto.html
一言主神社は、願いを一言だけ聞いてくれる「いちごんさん」として地元の人から親しまれています。祭神は、古事記や日本書紀の中に見える事代主命です。雄略天皇が葛城山で狩をしている時、この神は天皇と同じ姿で現れ、天皇が「お前は何者だ」と問いかけたところ、「私は善事も悪事も一言で言い放つ神である」と申されました。天皇はひれ伏し、その後、共に狩を楽しみ、神は久米川(現曽我川)まで天皇を送って行ったという事です。しかし、続日本書紀によれば雄略天皇と狩の事でいさかいを起こし、四国の土佐に流されたという事です。土佐風土記によれば、その後許されて葛城の高宮付近に祀られたと記されています。また、今昔物語に登場する一言主神は顔が醜くかったと伝えられ、葛城の怪人と言われた役行者は、修行のため、葛城山と吉野の金峯山の間に岩橋を架けるため、諸神を集めて、架橋工事をさせますが、一言主神は顔が醜かったため、昼は働かず夜しか働かなかったので、石橋は完成しませんでした。役行者は怒って、近くの小川のそばの大木に一言主大神を縛り付けてしまったという事が記されています。また本社境内には、神武天皇紀に記述がある土蜘蛛に関係しているとされてる蜘蛛塚があります。境内には、樹齢650年の無患子(むくろじ)があります。さらに、樹齢1200年の神社の御神木があり、祈願すると子どもを授かりお乳がよく出ると伝えられ「乳イチョウ」や「宿り木」と呼ばれているそうです。
★そして、撫でると「無事に帰る」「お金が返る」と言われる「なで蛙」もありました。
◆高天彦神社
639-2336奈良県御所市北窪158/0745-62-3346
http://www.city.gose.nara.jp/kankou/gra/1katsuragi_12takamahiko.html
本社は大和朝廷に先行する葛城王朝の祖神、高皇産霊尊を奉斎する名社であります。神話では天照大神の御子の天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)に、本社の御祭神の娘の栲幡千々姫命(たくはたちちひめのみこと)が嫁がれ、その間にお生れにになった瓊々杵尊(ににぎのみこと)が高天原からこの国土に降臨されます。その天孫降臨にあたって、国つ神の征討に赴く武士の派遣から、天孫の降臨命令まで、すべて本社の御祭神がお世話申し上げたのであります。日本民族が太古から神々の住み給うところと信じていた 「 高天原 」 も、実は御祭神の鎮まるこの高天の台地であります。御本社の背後には美しい円錐状の御神体山が聳えていますが、社殿ができる以前は、この御神体山の聖林に御祭神を鎮め祀っていました。古杉の聳える参道は北窪・西窪の集落に通じていますが、そこがかっての葛城族の住地であります。彼らは背後にひろがる広大な台地を、神々のいますところと信じて「高天原」と呼び、その名称が神話として伝えられてきたのです。葛城族は弥生時代中期に、現在の御所市柏原の地に移って水稲農耕を始めました。そして葛城川流域の鴨族と手を結んで部族国家を形成しました。神武天皇が橿原宮で帝位につかれたというのも、この柏原の地であります。
『日本書紀』神武三十有一年の夏四月の条
三十有一年の夏四月の乙酉(きのとのとり)の朔(ついたちのひ)に、皇(すめらみこと)輿巡(めぐ)り幸(いでま)す。因りて腋上(わきがみ)のほほまの丘に登りまして、国の状(かたち)を廻(めぐ)らし望みて曰(のたま)はく、「研哉(あなにや)、国を獲(え)つること。内木綿(うつゆふ)のまさき国と雖(いへど)も、蜻蛉(あきづ)のとなめの如くにあるかな」とのたまふ。是に由りて、始めて秋津洲(あきづしま)の號(な)有り。
とある腋上は御所市の平野の古称で今でも伝わり、ほほまの丘も丘裾に本馬の地名を残しています。国号の秋津洲もこの地に最初の王朝が築かれたことに由来します。葛城王朝は神武天皇から開化天皇に至る、九代で亡びますが、武内宿称によって復興し大臣は葛城一族が独占して平群・巨勢・蘇我氏へと世襲されました。これら葛城一族の祖神を奉斎することから、清和天皇の貞観元年(859)に神位従二位に叙せられ、延喜の制では最高の名神大社となって、月次・相嘗・新嘗の祭りには官幣にあずかってきた古社であります。金剛山は古く高天山と呼ばれましたが、中腹のこの広大な台地こそ日本人の心の故里「高天原」であり、神話も歴史もこの高天の台地を中心にして発展しました。悠久の歴史に心を馳せて、御神徳をさずかるよう御祈念してください。
★そして、高天彦神社の鳥居の右手に「幸せを呼ぶカエル石」があります。撫でたり擦ったり、水をかけて願をかけると 欲しいものがカエル。不幸を幸福にカエル。出て行った妻(夫)がカエル。など望みのカエルパワーを授かることができるそうです。