木川かえる(1) | すくらんぶるアートヴィレッジ

すくらんぶるアートヴィレッジ

●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●

・・・かえる友の会・関西支部としては、ぜひとも紹介しておかなければならない吉本興業の芸人さんがおられます。



木川かえる(1922年8月22日2005年3月4日)

日本の漫画家、ジャズ漫画家。本名は木皮一夫。滋賀県近江八幡市出身。日本漫画家協会参与京都支部長。1992年から1999年まで★「京都精華大学芸術学部漫画学科講師。父は銀行員でヴァイオリン、尺八を演奏するなど風流人であった。自身もそんな縁で演芸などに興味を持つ。子供の頃から絵を描く事も好きで学生時代から新聞等に投稿をしていた。★「滋賀県立八幡商業高等学校卒業後父の勧めで銀行員になる。戦時中は従軍、戦後は進駐軍でジャズや映画音楽をBGMに米軍相手に絵を描く漫画ショウを始める。これがジャズ漫画の原点となる。戦後は本格的に漫画家を目指すも当時駆け出しだった手塚治虫と出会い彼の画力に漫画家を断念(その後も手塚治虫は友人として長い付き合いがあった)。社会人をしながら独自で雑誌、新聞等の挿絵、イラストなどの投稿で生計を立てる。1964年に吉本興業に入り得意の漫画を描く舞台「ジャズ漫画」で舞台に立つようになる。その後はテレビ、個展、エッセイなど幅広く活躍。2002年11月に肝臓がんを告白、2003年8月に復帰し精力的に舞台ルミネtheよしもとにも出演。2005年に腎不全で故郷の滋賀の病院で死去。風貌は大柄でひょろっとし大柄でベレー帽を斜めに被り、大きな黒ぶちのメガネが特徴。芸は舞台を暗転し蛍光塗料で映画音楽などをBGMで流しながら客からのお題の下の名前を貰い、それをまず用紙の隅に書き、そこから浴衣姿で涼みながら線香花火をする女性を描くのが特徴だった。他にも風刺画や色っぽい絵も描いた。尚描いた絵は客にプレゼントしていたが蛍光塗料を使っていたため暗い所でしか見えなかった。弟子には木川かじか、フロッグ西嶋等がいる。2013年、上方演芸の殿堂入り。1983年読売国際漫画大賞優秀賞1996年上方お笑い大賞特別賞。著書「かえるも昭和をふりかえる」「ぼくは人生のすべてを漫画から学んだ」など。


きがわ1


★「滋賀県立八幡商業高等学校

523-0895滋賀県近江八幡市宇津呂町100748-32-2072

略称は「八商」(はっしょう)。建築家・実業家として活躍したウィリアム・メレル・ヴォーリズは、来日当初は本校で英語教師を務めていた。2年後、宗教上の問題で教師を解職させられたが、のちに本校の校舎を改築する際に設計を任された。ヴォーリズが設計した校舎は現在も使われている。戦後本校を取材した評論家の大宅壮一は、優秀な実業家を多く輩出する本校を「近江商人の士官学校」と評した。

★「京都精華大学芸術学部漫画学科

606-8588京都市左京区岩倉木野町137075-702-5131

マンガ学部は、マンガ、アニメに関することすべてを専門的に学べる日本でただひとつの学部です。マンガ学科には、カートゥーン、ストーリーマンガ、ギャグマンガ、キャラクターデザインといった、マンガの各ジャンルに対応したコースを設けているほか、マンガの原作や編集を学ぶマンガプロデュースコースも。アニメーション学科では、作画からCG、音響制作、シナリオ制作までアニメーションづくりの全過程を学ぶことができます。現代のマンガコンテンツを生み出すすべての人材を育てることのできる学科、コース編成です。マンガ学部の教員には、マンガやアニメーションといったそれぞれの分野をリードし、新たな時代を築いてきたトップランナーが勢ぞろい。作品が多数映画化、アニメ化されている現役マンガ家や人気イラストレーター、日本のアニメーションの誕生期を支えてきたアニメーション監督やジブリアニメの音響監督、人気マンガの編集者など。これら第一線で活躍してきたプロたちから、読者の心をつかむ秘訣やヒット作を生むためのノウハウを直接学ぶことができるのは、ほかでは得られない精華ならではの特権です。40年ものマンガ教育の歴史がつくり上げてきたカリキュラムや、プロの教員に直接学べる環境の成果は、卒業生の活躍にあらわれています。コミックス10数巻の長期連載作品をもつ卒業生がいるほか、作品がアニメ化、映画化される卒業生も続々とあらわれています。そのほか、毎年多くの在学生、卒業生がマンガ雑誌でデビューをかざっています。アニメーション学科でも作品が文化庁メディア芸術祭で新人賞、優秀賞を受賞した卒業生や、テレビ放映や劇場公開される人気作品をつくる制作会社で活躍する卒業生を多数輩出しています


・・・「ミュージアム巡り」で紹介した内容にも、深くかかわっておられる方です。


きがわ2


漫画家木川かじかさんまた書道家末吉翠巌さんとして活躍されていた末吉さんが、2010年4月末に急逝されました。


きがわ3


フロッグ西嶋

1946年 「満州国」奉天市(現 陽〕生。後、父の故郷へ引揚げる。

1956年 神戸市に在住

1970年9月 兵庫県立神戸商業高等学校教諭〔商業科)として赴任

1984年 兵庫県立鈴蘭台高等学校に転勤〔以後、社会科)

1996年 兵庫県立御影高等学校に転勤

2006年4月 兵庫県立北須磨高等学校に再任用

在職中、学級通信や教科通信を手書きで約4000枚(B4版)発行。カット絵や漫画を全て自分で描きより楽しくするために18年前から生徒や職員、保護者の似顔絵に挑戦。その面白さにのめり込む。1995年、吉本興業所属のジャズ漫画家木川かえる師匠〔2005年3月没、82歳)の舞台に魅せられ、師匠の追っかけをして弟子にしてもらう。師匠の舞台や営業、似顔絵会などのお手伝いをしながら、師匠の芸を見て絵や似顔絵の勉強をする。その後、大道で似顔絵を描くにあたって「フロッグ西嶋」という芸名をいただき商店街や地域のイベント、学園祭、商業施設などで似顔絵を描き始める。「教室に笑いを、学校にユーモアを」がモットーで、13年前に大阪シナリオ学校演芸・喜劇台本科に入学し、 漫才や落語台本の勉強。卒業後、学校情報誌「ぱっしょん」の編集に携わりながら、青芝フック師匠の「平成萬歳塾々」で、オセロや若手芸人らと共もにお笑いを実践的に学ぶ。雑誌「上方芸能」のイベント・文化仕掛人学校ブックライター養成講座を受け、「大阪の居酒屋80選」「大阪とっておきの酒場」以上、風媒社)「関西をさぼろう」(東当方出版)「京阪沿線ぶらり古社寺めぐり」(朱鷺書房)などのガイド本を共著で出版。「神戸新聞文芸」や神戸新聞「まんが館」にエッセー、コマ漫画を応募し、文章やユーモアを磨いている。現在、大阪都島コミュニティーで「似顔絵サークル」の講師をしている。


・・・お弟子さんも「かじか」や「フロッグ」という芸名です。


きがわ4


大阪府立上方演芸資料館第17回上方演芸の殿堂入り

「川上のぼる・木川かえる」記念展示

於:大阪市立中央図書館1階エントランスギャラリー

550-0014大阪市西区北堀江4-3-206-6539-3300

平成26年11月21日(金)12月17日(水)

大阪府立上方演芸資料館(ワッハ上方)と大阪市立中央図書館とのコラボレーション企画として、大阪市立中央図書館1階エントランスギャラリーにおいて、「大阪府立上方演芸資料館 第17回上方演芸の殿堂入り-川上のぼる・木川かえる-記念展示」を開催します。ワッハ上方では、平成8年11月の開館以来、「上方演芸の発展と振興に大きな役割を果たし、広く府民の皆様から愛され親しまれた人で後進の目標となる人」を選考し、その素晴らしい「芸」と個性豊かな「人」の魅力を後世に伝える表彰事業「上方演芸の殿堂入り」を実施しています。昨年度(平成25年度)までに選ばれた受賞者は、47組73名を数えます。今年3月の「第17回上方演芸の殿堂入り」の受彰を記念して、川上のぼる氏(腹話術・声帯模写)と木川かえる氏(ジャズ漫画)のお二人の貴重な関係資料をご紹介する展示を開催します。

http://www.wahha.or.jp/dendou/17th.html#2

http://www.oml.city.osaka.lg.jp/index.php?key=joekf7zeh-510#_510


きがわ5


・・・関西支部の代表として、訪問させていただきました。