大学ミュージアム(35) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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・・・「甲子園ホテル」への行き帰りに遭遇した建物です。こういう発見があるから、街歩きはたまりませんねえ。



まつ1


松山大学西宮温山記念会館

663-8113兵庫県西宮市甲子園口1丁目12-31

昭和3年築。設計木子七郎。愛媛県出身で大阪で皮革業やベルト製造業を興した新田長次郎が孫の新田利国の為に建てた邸宅です。設計者の木子七郎は愛媛県庁や各地の日赤関係建物を手掛けた有名な設計者ですが、新田長次郎の娘婿にあたります。新田の出身地である愛媛には木子七郎の設計した建築が数多くあります。


まつ2


本学の創設者新田長次郎(温山)翁が娘婿の建築家・木子七郎氏に設計を依頼し、最高の資材と建築技術を用いて昭和3年に建設されたスペイン風洋館と広大な庭園です。1989年10月、本学は新田家から寄贈を受け、『松山大学温山記念会館』と命名しました。本学教育研究の関西での拠点として、学生のゼミナール活動や研究会議などに利用しています。また、西洋の建築様式の強い影響を受けたこの近代住宅は、当時の生活様式を現代に伝える貴重な文化遺産として「登録有形文化財[建造物]」(文化庁)、「ひょうごの近代住宅100選」(兵庫県)に指定・選定されています。(温山とは長次郎の号。出身地の温泉郡山西村に由来)


まつ3


【参考】松山大学温山記念会館(兵庫県西宮市)が、ヒロイン・エリーがお世話になる大富豪・野々村家としてNHK朝の連続テレビ小説「マッサン」に登場しました。第6週第36回平成26年11月8日(土)

・・・あちらこちらに「マッサン」が登場しますねえ。

※松山大学

790-8578愛媛県松山市文京町4-2089-925-7111

http://www.matsuyama-u.ac.jp/

1923年(大正12年)に松山出身の大阪の実業家、温山新田長次郎により創立された松山高等商業学校が起源である。新田は東京証券取引所一部上場のニッタの創業者でもある。四国で最も古い歴史を持つ私立文系大学であったが、平成18年度に薬学部を新設した。松山大学では、旧松山高等商業学校の設立に寄与した新田長次郎、加藤恒忠、加藤彰廉の3人の人物を「三恩人」と呼んでいる。学生数は松山大学が約6,500人、松山短期大学が約200人、大学院生約30人。創立以来91年、この間に輩出した卒業生は、約7万人。2008年現在、大学には、経済学部、経営学部、人文学部(英語英米文学科・社会学科)、法学部、薬学部の5学部6学科がある。経済学部と経営学部および人文学部には大学院の修士課程・博士課程、薬学部には、博士課程を有す。略称は「松大」(まつだい)。地元住民や卒業生には長らく使用されてきた旧称である「松山商科大学」に愛着を持っている者も多く、かつての通称である「商大」と同音である「松大」(しょうだい)も通用している


まつ4


【参考】ニッタ株式会社(Nitta Corporation)

556-0022大阪市浪速区桜川4-4-2606-6563-1211

http://www.nitta.co.jp/

大阪府大阪市浪速区桜川に本社を置く、主に産業用ベルトを主とするゴム製品の製造開発をおこなう企業である。1885年創業。産業用ゴムベルトを中心に、伝達用のコンベヤユニットや、その他加工チューブ、高圧樹脂ホースなどのゴム製品の開発をおこなう。特に業務用を中心に高いシェアを持つ。この他にも免震材、クリーンルーム用フィルターの製造販売、半導体事業もおこなう一方で、空気中の微粒子の測定機器(バーティクルカウンター)やアンモニアなどの有毒ガス検知器の開発など、多角的な製品開発をおこなっている。

・・・帰り道、もちろん寄り道しました。


まつ5


【マンボウトンネル】

「菜奈ちゃん、頭下げて!」兵庫県西宮市の主婦松本慶子さんは、向こう側から人が来ないことを確かめると、自転車の後部座席の長女(5)に声をかけて、甲子園口の「マンボウ」をくぐった。海で泳ぐ魚のことではない。JR神戸線の線路下にある、歩行者用の小さなトンネルだ。高さ1.3メートル、幅約1.5メートル。天井はアーチ形。手すりもあるが、すれ違うのは難しく、自転車は押して通る。長さ20メートル強。急ぎ足だと20~30秒で通り抜けられる。元は、用水路だった。1874年開業の大阪―神戸間の鉄道は、田園地帯を一直線に突っ切るため、盛り土の上に線路が敷設された。その下をくぐる水路として作られた。後の宅地化で水田がなくなると水路はふたをされ、歩行者用に変身した。今では地域に欠かせない存在だ。西宮市内のJR神戸線には、他にも平松町、大谷道の2カ所にマンボウがある。甲子園口はその中で一番小さく、南側出口前に3歳の頃から住んでいる植田直美さん(61)は「小さいトンネルって呼んでます。昔は水が勢いよく流れてました」。悲劇も目撃した。出てくる人が早めに頭を上げて出口の天井に痛打。血だらけになり、救急車を呼んだことも数回ある。反対側から先客が来ることを確かめないで突っ込むと、途中引き返すはめに。出てきた人は「お先に」と一声掛けるのが暗黙のルールだ。一方、文豪・谷崎潤一郎の小説「細雪」に登場するのが平松町マンボウだ。「奥畑は、その山側の停留場のうしろの方のマンボウから出て来て、国道を北から南へ横切って……」などと、数回登場する。れんが造りで内部はやはりアーチ形。長さ22メートル、高さ約1.7メートル。かがむほどではないが、頭をぶつけそうだ。入り口に「キケン 自転車・単車は危ないので 押して通行してください」との看板がある。大谷道マンボウは、芦屋市との市境にある。県歴史文化遺産活用推進員の藤井成計(なりかず)さん(64)は「道路から掘り下げて造られていて、昔は水路だったことが実感できます。れんが積みのアーチ部分が『ねじりまんぼ』という独特の工法で、この工法の日本最古のものらしいです」。なぜ「マンボウ」なのか。「細雪」で谷崎は、「和蘭陀(おらんだ)語のマンプウから出た」「ガードというよりは小さい穴のような、人が辛うじて立って歩けるくらいな隧道(ずいどう)……」と解説する。小さなトンネルを「マンボー」「マンボリ」「マンブ」などと呼ぶ地域は三重や静岡など、全国にある。どうやら坑道、炭坑の穴などを意味する日本語の「間府(まぶ)」が語源というのが真説らしい。2012年3月朝日)


・・・「赤煉瓦」って、本当にいいですよねえ。