紅葉狩り(7) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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・・・名残惜しいですが、そろそろ次の目的地へ。


なが1


眼鏡橋

第一閘門西側にはかつて長柄運河が流れており、閘門下流側門そばに「眼鏡橋」が設置された。現在運河は埋め立てられたが、眼鏡橋は修復のうえ保存されている。



なが2


沖野忠雄

安政元年(1854)但馬の武家に生まれる。現東大入学後、フランス留学。土木工学を修め、帰国後内務省入省。淀川改修案をまとめて意見書を提出、国会で可決される。明治29年の測量に始まり、工事の近代化のため、外国から掘削機や浚渫船を輸入。セメントなどの試験も行い、技術の導入に努める。毛馬をはじめ、瀬田川洗堰や本川付け替え、堤防強化・築堤・河床浚渫等々、…15年に及ぶ大改修を指揮した。国外を含め生涯に手がけた港湾は80、河川は100カ所を数える。


なが3


◆長柄橋

http://www.city.osaka.lg.jp/kensetsu/page/0000023761.html

古くから広くその名が知られる長柄橋ではあるが、橋の所在地については定かでない。信頼度の高い書物にこの橋が登場するのは『日本後記』の嵯峨天皇条で、弘仁3年(812)、律令の制度にのっとって、中央政府から造橋使が派遣されて工事が行われたとされる。しかし、40年後の仁寿3年(853)には橋は既に廃絶しており、渡船が設けられていた。短命に終わった長柄橋は、人々の心の中で生き続け、歌枕として様々な歌に詠まれた。また、この橋には人柱の悲話が伝わり、”物いわじ父は長柄の橋柱鳴かずば雉も射られざらまし”の歌を耳にされた方も多いであろう。長柄の地に再び橋が架けられたのは明治6年のことで、現在の橋とほぼ同じ位置に豊崎橋という名の橋が造られているが、長柄橋の名が千年の時を経て復活するのは、明治42年、新淀川の開削にともなって架けられた鉄製のポニートラス橋である。この橋は明治7年に開通した東海道本線のトラスが転用されたものである。その後、昭和11年に架け替えられた橋は、第二次大戦末期に爆撃を受けて橋桁が損傷し、橋の下に避難していた人々に多くの犠牲者がでた。橋の南詰の観音像が犠牲者を供養している。現在の長柄橋は、昭和58年に完成したもので、中央部の橋はニールセンローゼ桁というアーチ形の橋が採用されている。近代的なアーチに千年の時の流れを映している。


なが4


・・・目的地が見えてきました。


水道記念館(旧柴島浄水場送水ポンプ場)登録年月日:19990823

533-0024大阪市東淀川区柴島1-3-106-6324-3191

http://www.city.osaka.lg.jp/suido/page/0000015210.html

大阪市水道の拡張時につくられた煉瓦造,平屋建の建物。赤煉瓦を基調にして要所に花崗岩を混ぜた外観の意匠が特徴で,特に中央部にあるアーチ上部の煉瓦と石を交互に用いた仕上げが美しい。設計は宗兵蔵。


なが5


平成7年11月に大阪市水道通水100周年を記念し、水道の歴史やしくみ、水道水源環境に関する知識の普及啓発を図ることを目的に開設しました。建物は、大正3年から昭和61年まで大阪市の主力ポンプ場として活用していた、柴島浄水場「旧第1配水ポンプ場」を保存活用したもので、赤レンガと御影石との調和が美しい景観を創り出している建物で、平成11年に国の登録有形文化財に登録されました。なお、水道記念館は、平成24年4月1日から一時休館しており、現在、リニューアルを進めています。

【参考】大阪市の大切な水族館を、廃止しないでください!

http://www.nature.or.jp/action/suidoukinenkan/

・・・ミュージアムには、いろいろな問題が山積しています。