・・・京都散策の帰路、「京都古梅園」を発見しました。「古梅園」が懐かしく、次は「奈良」に行こうと思い立ちました。
【参考】商号:「京都古梅園」創業:1714年
604-0916京都市中京区要法寺前町716-1(寺町通り二条上ル)/075-231-1531
◆古梅園(1912-1925築)/登録年月日:19980116
630-8343奈良市椿井町7番地/0742-23-2965
商号:株式会社「古梅園」創業:1577年。「墨」という名は「染み」からなまり伝えられたものといわれています。我が国へは推古天皇の18年(西暦610年)高句麗の僧、曇徴が製墨法を伝えたといわれ、奈良墨は応永七年(西暦1400年)奈良興福寺で造られたのが初めで、元文4年(西暦1739年)古梅園六世「松井元泰」が長崎で清人と製墨法を交流して、大いに教えられ、より一層品質のよい名墨を造るようになりました。我が国の文化の故郷奈良にて製墨を始めまして四百有余年今日に至って居ります。これも大方諸賢の御支援の賜物と深く感謝いたして居ります。温故知新を心の支えとして文化的役割の重大さを自覚し、たゆまぬ努力を重ねる所存で御座います。
旧奈良町の一画にある老舗の製墨業古梅園の店舗で、風格ある看板を掲げる。平入、つし2階の伝統的な構えになり、正面は庇及び上屋ともせがい造りとする。格子は多用せず開放的になるが、外壁を黒漆喰塗とした重厚な店舗として広く知られている。
・・・奈良市の三条通りに面して、「古梅園製墨」の大きな古い看板を掲げているレトロな建物もありますが、こちらは「特約支店・梅林堂」さんです。さて、そこから少し西へ「東向商店街」角に、
◆南都銀行本店(1926築)/登録年月日:19970715
630-8677奈良市橋本町16-1/0742-22-1131
正面に4本のイオニア式の列柱を並べ細部に装飾を施す外観は、古典様式を簡潔にまとめた好例。昭和28年に背後に増築し、その後窓枠や内装の改修を受けたが、外観はよく保存されている。設計長野宇平治、施工大林組。古都奈良の数少ない様式建築の一つ。
※株式会社「南都銀行」は昭和9年6月1日創立、南都銀行(頭取・植野康夫)は、平成26年6月1日(日)に創立80周年を迎えるにあたり、国立大学法人奈良女子大学・学校法人奈良大学との共催で奈良県の歴史や文化をテーマとした記念セミナーを計10回開催します。また、南都銀行ではミニ図書館として、「萬葉集」に関する400冊余りの蔵書を持っています。無料で閲覧・貸し出しを行っていますので、どうぞご利用ください。
・・・東向商店街(http://higashimuki.jp/index.html )を少し北へ、
◆日本聖公会「奈良基督教会」(1930築)/登録年月日:19970715
630-8213奈良市登大路町45/0742-22-3818
興福寺に隣接する位置にあり、設計者大木吉太郎の腐心によって全体として延びのある和風様式でまとめ上げる。内部は外陣と側廊境に角柱、内外陣境に円柱を建てともに吹き放ちとし、小組格天井を張る。古都奈良にふさわしい教会として広く知られている。教会堂及びこれに雁行して建つ現親愛幼稚園舎(旧会館)を繋ぐ渡り廊下、屋根は教会堂の西面の庇と一連の銅板葺とする。教会堂や園舎に接続する一間分は漆喰壁とし、他はガラス戸引き違い、園舎寄りの一間を昇降口や教会堂の出入口として開放にしている。
・・・次は「ならまち」の方へ、
◆田村青芳園茶舗店(1751~1830築)/登録年月日:20120813
630-8363奈良市勝南院町19-1/0742-22-2833
奈良町の通りに東面して建つ平入町家。木造二階建、切妻造桟瓦葺、間口八メートル奥行一四・一メートルで、背面に下屋を付ける。正面は軒を出桁とし、両側に卯建を設け、二階に大きな虫籠窓を設けるなど特徴あるつくりとする。奈良の伝統的町家の一例を示す。
・・・さて、あの有名な「奈良ホテル」に向かいます。
◆聖ラファエル教会(1997築)奈良市高畑町1096
https://www.narahotel.co.jp/wedding/ceremony_hall.html
奈良ホテルの附属教会として、結婚式などが行われています。鉄道建築協会推薦受賞を受賞しています。煉瓦造り(一部木造)、平屋建て。設計:レーモンド設計事務所。
◆大乗院庭園
https://www.narahotel.co.jp/cms/daijyo_in_toha.html
630-8301奈良市高畑町1083-1/0742-24-0808
奈良ホテルの南側に隣接する「名勝 旧大乗院庭園」が2010年4月3日より、一般公開を開始いたしました。
◆荒池余水吐「奈良ホテル煉瓦橋」(近代化産業遺産)
瑜伽橋が架かる池の余水吐は、県下では珍しい煉瓦造の水路トンネルである。建設年は不明だが、明治40年代の奈良ホテル建設時に設けられた可能性が高い。現在は荒池の洪水調節機能を付与されている。