万博公園へ(1) | すくらんぶるアートヴィレッジ

すくらんぶるアートヴィレッジ

●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●

・・・「平野郷屋敷」の庭は、万博庭園を作庭した木戸雅光さんによるものだと知り、久しぶりの「万博公園」です。そう言えば「国立国際美術館」が無くなってからは、めったに来ることもありませんでした。エキスポランドでの大事故も、忘れることのできない現実です。


★国立国際美術館

独立行政法人国立美術館が管轄する美術館。収蔵品は第二次世界大戦以後の国内外の現代美術が中心、現代美術以外の企画展なども開催してい。設立は1977年(昭和52年)。当初は大阪府吹田市の万博記念公園にあったが、2004年(平成16年)に大阪市北区中之島へ移転した。


ばん1


★万博記念公園/565-0826吹田市千里万博公園1-1

万博公園自然文化園には、大小さまざまな池があります。夢の池、大地の池は、1970年の日本万国博覧会(大阪万博)のときからある人工池、水鳥の池は緑豊かな公園東側にある池です。自然文化園の東部にある夢の池は、公園内で1番大きく、大阪万博のときにつくられた池で、現在も当時の姿をとどめています。大小6基オブジェがありますが、当時は噴水としてさまざまな方向に水しぶきをあげていました。現在は水は出ていませんが、当時のまま残されています。夢の池には、サイクルボートがあり休日にはたくさんのボートが動き回っています。池畔にはバーベキューコーナーがあり、コンロ、炭などの貸し出しが行われています。大地の池は公園内で2番目に大きな池で、お祭り広場の西側にあります。周囲は石畳で囲われ、もみじ川からの水の流れを受け止めています。池畔には水辺のレストラン「Park Cafe(パークカフェ)」があります。この建物は万博当時から残るものですが、全面リニューアルが行われ、当時の面影はほとんどありません。水鳥の池は、公園の西部で木々が生い茂る野鳥の森の中にあります。野鳥の森は、大阪万博開催10周年を記念して整備された森で、鳥の観察小屋、遊歩道などが設けられています。水鳥の池は森の中央に位置し、白鳥などのいこいの場となっています


ばん2

【参考1】2009年万博公園水が消えた夢の池

http://mafutto.web.fc2.com/091107and15b.html

【参考2】万博公園「夢の池」噴水塔改修工事設計

万博公園(大阪府吹田市)お祭り広場の東側に位置する「夢の池」にそびえ立つ噴水塔の改修工事です。“宇宙空間の夢”と称された「彗星」や「星雲」と名付けられた9基の噴水塔は、1970年の大阪万博の際に彫刻家のイサムノグチによって設計されました。老朽化し現在は使われていない噴水機能を撤去し、オブジェとしてリニューアルさせる計画です。

(株)空間デザイン http://sd-arc.jp/  ⇒ 「実績紹介」


ばん3


大阪府立国際児童文学館565-0826大阪府吹田市千里万博公園10-6

2009年12月27日まで万博記念公園内に所在し、日本国内外の児童書や関連書籍を収集し、研究を行っていた文学館・専門図書館。略称はIICLO(イイクロ)。1979年の国際児童年を記念して事業が計画され、滋賀県と激しい誘致合戦を繰り広げた末に児童文学研究者・鳥越信から12万点に及ぶコレクションの寄贈を受け1980年に準備組織として財団法人大阪国際児童文学館を設立。1984年5月5日(こどもの日)に開館した。館の設計は大阪府建築部営繕室が行い、1998年には建設省(当時)の公共建築百選に選定されている。シンボルマークは安野光雅のデザインで、横笛を吹くギリシア神話の牧神・パーンを象ったものである。1986年から1990年までは、司馬遼太郎が財団理事長を務めていた。

2008年2月、大阪府知事の橋下徹は大阪府の厳しい財政再建問題の中で、国際児童文学館が所蔵する約70万点の図書資料を確実に保存・活用し、府民利用の向上と子どもの読書振興を図るためには、児童文学館を大阪府立中央図書館に移転することが適切と判断した。国際児童文学館の知名度の低さ、立地の不便さ、来館者が少ないことなどを理由に「マーケティングの観点から、場所は中央図書館のほうがいい。圧倒的に子供たちに見られる所へ移し、本を生かせるようにしたい」と主張した。

同館の廃止統合が決まった後の2009年3月16日、寄贈した鳥越信たち児童文学者ら29人は、寄贈資料約1,200点の返還を求め、大阪地裁に提訴したが、2011年8月26日、判決が下り、原告らの訴えは棄却された。2009年12月27日に閉館、2010年3月末に廃止、児童書等の資料は中央図書館に移管され、2010年5月に大阪府立中央図書館国際児童文学館として再び公開された。


ばん4


◆【大阪日本民芸館】◆敷地面積3.070.035

565-0826吹田市千里万博公園10-5/06-6877-1971

1970年日本万国博覧会のパビリオンとして建設1971年大阪日本民芸館として開館万博終了後、展示館の建物を引き継いで、柳宗悦(18891961)の提唱した「民藝運動」の西の拠点として装いも新たに開館したのが、大阪日本民芸館です。正面には、「平和のバラ園」「日本庭園」「国立民族学博物館」などの文化施設群があり、緑に包まれた万博記念公園の文化的心臓部に位置しています。民芸館の建物は鉄筋コンクリート造りの平屋建(一部二階)で、三角形の敷地いっぱいにひろがり、展示室は回廊式で第一展示室から第四展示室へ自然な流れに沿ってゆったりと鑑賞できる構造になっています。建物に囲まれた中庭は石敷で、全国各地の壺・甕・鉢がほどよく配された野外展示場として簡素な趣を呈しています。初代の館長は、柳宗悦とともに民藝運動を推進してきた陶芸家の濱田庄司(18941978・人間国宝)。二代目館長は、日本民藝館(東京・駒場)の名誉館長、工業デザイナーの柳宗理(19152011が1978年に就任しましたが、2011年3月末に退任しております。展示は、大阪日本民芸館と日本民藝館(東京・駒場)等の収蔵品を中心に、陶磁器、染織品、木漆工品、編組品など国内外の民藝品を展観する特別展を、年2回(春季と秋季)開催しています。また、催事として特別展ごとに〈記念講演会〉を行っています。


ばん5


秋季特別展「棟方志功と芹沢銈介-ふたつの『釈迦十大弟子』を中心に」

2014年9月6日(土)~12月16日(火)

本特別展では、版画家・棟方志功(1903-75)による「二菩薩釈迦十大弟子」(一燈園資料館「香倉院」所蔵)と、染織家・芹沢銈介(1895-1984)による「釈迦十大弟子尊像」を一堂に展示いたします。民藝運動に加わった棟方志功と芹沢銈介は、民衆の日常品が持つ美に共感し、自身の作品に昇華させていきました。国内の釈迦十大弟子像をもとに、木板(版)画と型絵染それぞれの手法によって制作された、ふたつの「釈迦十大弟子」をぜひご覧ください。あわせて、棟方志功の「大和し美し」(京都民藝資料館所蔵)や、芹沢銈介の染織作品を約100点ご紹介します。