・・・「丸福珈琲店」で田辺聖子さんの「薔薇の雨」を読了しましたので、以前にも紹介しましたが、「大阪樟蔭女子大学」のミュージアムを掲載することにします。
◆樟蔭学園・大阪樟蔭女子大学【田辺聖子文学館】◆
577-8550東大阪市菱屋西4-2-26/06-6723-8181
樟蔭学園の礎を築いた森平蔵は、明治8年9月、兵庫県神東郡(現・神崎郡市川町)に生れ、明治24年頃、大阪市浪速区幸町の木材商朝田商店へ見習い奉公に入り、明治34年、大阪市西区北境川において独立開業、以後、木材販売及び植林業を営むようになりました。爾来、木材を運搬する船舶に着目し、木材流通の効率化を図ったことから莫大な利益を上げました。大正4年には、みずから森平汽船株式会社を創立して取締役社長に就任、折からの海運ブームにより巨万の富を築きました。大正初期には商家を中心に、自らの子女に中等教育を受けさせたいとの機運の盛り上がりがありましたが、大阪市内における女学校の定員は、志望者の数に比して絶対数が不足しておりました。森平蔵は、このような教育界の現状を憂い、私財を投じて私立の高等女学校を設立することを決意し、この熱意を、当時の関西教育界の第一人者であった伊賀駒吉郎先生に打ち明け、この地(現在の小阪キャンパス所在地、東大阪市菱屋西)に学校を建設する決断を致しました。こうして、4年制高等女学校及び2年制専攻科からなる「樟蔭高等女学校」は、大正6年12月、文部大臣より設置認可を受け、翌大正7年4月に開校、90年の歴史の1ページ目を飾ったのです。この時、森平蔵42歳、16歳の見習い修行から始めて26年、独立開業からは僅かに16年目での大事業でした。
「樟蔭」という校名は、「樟(の余芳の蔭(あやかるの意)」、つまり「楠木正成夫人のいつまでも残る遺徳(余芳)にあやかる」という意味から付けられ、本学園が、創立の地を楠木正成(くすのきまさしげ)ゆかりの河内に定めたことに由来しています。楠木正成は、巧みな兵法と知略により、後醍醐天皇の篤い信任を受け、建武の新政権成立後は河内・和泉国の守護となり、後世の人々から「大楠公」として慕われた南北朝時代の文武に長けた武将でした。大正時代の子どもたちも、楠木正成の武勇伝や楠公夫人・お久の方の賢婦人ぶりを伝記などで見聞きして育ったのです。現在とは異なる当時の世相の中では、楠木氏一族は映画に登場するヒーロー的な存在だったのでしょう。夫、正成の死後も、長男正行を始めとする6人の子どもを立派に育て上げたお久の方を偲び、「樟の余芳にあやかって」名付けられた「樟蔭」という校名には、前途有為な若者への創立者の深い愛情と、成長への願いが込められています。「樟蔭」と名付けられたことは、当時の時代背景と深く関わっています。「菊と水」をかたどった校章も、楠公の旗印に由来しています。菊は朝廷を、水の流れは農民にとって最も大切な「水分の神」をシンボリックに表したものといわれています。
田辺聖子氏は、1947(昭和22)年、本学の前身である樟蔭女子専門学校国文科を卒業なさいました。田辺聖子文学館は、この卒業生である田辺聖子氏の素晴らしい文学的偉業をたたえ、本学創立90周年記念事業として開館いたしました。文学世界をはじめ、人生や世界観など多様な角度から田辺聖子氏に触れていただけます。田辺聖子氏が本校で学んだ古典や現代文学などは、後の著作活動の大きな糧となったとご自身でも述べておられますが、在学中からすでに旺盛な執筆活動もしておられ、樟蔭女専時代の原稿や思い出の品々をご覧いただけることも、当館の大きな喜びです。この館で、田辺聖子氏の世界にいっそう親しみ、その心を味わい、みなさんが生きていく上での新たな発見をしていただければと願っております。
【プロフィール】
1928年(昭和 3年)大阪市・福島の写真館の長女として生まれる。
1944年(昭和19年)樟蔭女子専門学校(現樟蔭女子大学)国文科入学。
1945年(昭和20年)工場動員、6月の大阪大空襲で自宅の写真館焼失。12月、父・貫一死去。
1947年(昭和22年)樟蔭女子専門学校卒業後、金物問屋に就職、29年まで7年間OL生活。
1956年(昭和31年)『虹』で大阪市民文芸賞受賞。文学活動開始。
1958年(昭和33年)「婦人生活」の懸賞小説に長編『花狩』が入選、最初の単行本となる。
1964年(昭和39年)『感傷旅行(センチメンタル・ジャーニィ)』で第50回芥川賞受賞。
1966年(昭和41年)神戸の医師・川野純夫氏(カモカのおっちゃん)と結婚。
1976年(昭和51年)兵庫県伊丹市に居住を開始し、現在も在住。
1985年(昭和60年)第40回神戸新聞平和賞。
1987年(昭和62年)直木賞初の女性選考委員。
1993年(平成 5年)『ひねくれ一茶』で第27回吉川英治文学賞受賞。
1994年(平成 6年)第42回菊池寛賞受賞。
1995年(平成 7年)紫綬褒章受賞。
1998年(平成10年)第3回井原西鶴賞特別賞、『道頓堀の雨に別れて以来なり』で第26回泉鏡花文学賞。
1999年(平成11年)『道頓堀の雨に別れて以来なり』で第50回読売文学賞「評論・伝記賞」受賞。
2000年(平成12年)文化功労者受賞。
2002年(平成14年)川野純夫氏が死去。
2003年(平成15年)『ジョゼと虎と魚たち』が映画化。
2006年(平成18年)『田辺聖子全集』全24巻、別巻1巻、完結。『ひよこのひとりごと』。文学活動50周年。