ヴォーリズさんを訪ねて(8) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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・・・すっかりヴォーリズさんを満喫させていただいたわけですが、最後に近江八幡ならではの風景をしっかり眼に焼き付けておきたいと思います。



かわら1


◆【近江八幡市立かわらミュージアム】◆

523-0821滋賀県近江八幡市多賀町738番地の20748-33-8567

平成7年に近江八幡市が、地場産業である八幡瓦の普及と先人の技術や知恵を後世に伝え、町づくりの拠点として生かしていくために建設されました。

瓦について詳しく知りたい方、瓦の種類・瓦の作り方・日本各地の瓦・世界の瓦等々、そんな方は是非一度「かわらミュージアム」へお越しください。かわらミュージアムは、近江八幡のまちなみの中にあって、その景観の重要な要素を形成する瓦屋根に関して、その歴史や製作技法・その芸術性などを紹介し、「はちまんかわら」のもつさまざまな側面を多くの方に知っていただき、その成果を新たなまちづくりに生かせてもらえるようにと、平成7年にオープンしました。「かわら」に興味のある方もない方も、一度来てみてください。きっとあなたの知らなかった「かわら」に会えるでしょう。


かわら2


八幡堀

天正13年(1585年)に豊臣秀次(秀吉の甥)が八幡山に城を築き開町したことに始まります。秀次は、八幡堀と琵琶湖とを繋ぎ、湖上を往来する船を城下内に寄港させることで、人、物、情報を集め、さらに楽市楽座制を実施することで城下を大いに活気づけました。

八幡堀(全長4,750m)は交通路や生活の場として長らくその役目を果たしてきましたが、生活形態が変わりだした昭和30年代もなると、八幡堀は市民にとって忘れ去られた存在となり、やがて無用の長物から公害源となりだしました。当時は高度成長時代であり、時代の波に近江八幡市としても乗り遅れることのないようにと、区画整理や工場誘致等の都市基盤整備に躍起になっていました。加えて、琵琶湖総合開発による琵琶湖の水位低下や生活排水の質的変化により、その荒廃は進む一方でした。昭和40年になると、八幡堀に堆積したヘドロは1.8メートル、総量50,000立方メートル、蚊やハエの発生源や市民による不法投棄の場所と成り果て、地元自治会は衛生的観点から署名を添え駐車場や公園等への改修要望を市に陳情しました。


かわら3


このような状況の中、昭和47年に近江八幡青年会議所が「堀は埋めた瞬間から後悔が始まる」を合い言葉に全市民へ浚渫と復元を呼びかけました。これは、「観光目的ではなく、今現在、我々が存在するのも八幡掘があったからであり、まちの歴史が詰まった堀を守らなければならない」と言う思いからでした。しかし、埋め立ての予算は既に国によって計上されており、市民も1日も早い改修を望んでいるような状況の中では、保存運動はいわば孤立状態を招きました。このような中で、青年会議所は昭和50年に「死に甲斐のあるまち」をまちづくりのコンセプトにした新たな運動を展開します。これは、働き甲斐のある場所や生き甲斐のある場所は数カ所あっても、どんな人間でも死ぬ場所はひとつしかなく、人が死を迎えるに当たりこの町で生涯を終えることに後悔しないような町と言う意味です。


かわら4


青年会議所は県土木事務所等との折衝を続ける中で、毎週日曜日に会員自らが八幡堀へ入り自主清掃を始めます。当初は、清掃作業を横目にヤジを飛ばす人やゴミを捨てていく人も存在する中、めげることなく活動を続ける彼らに、やがて市民の目も変化してきました。パンや牛乳を差し入れてくれる人、清掃作業を手伝う老人会の人、自社のダンプやユンボを貸出してくれる建設業者等々で、しだいに堀端は賑わうようになりました。また、常々意見対立を繰り返してきた行政職員も市民の1人として参加する人が現れるなど、この活動はいつの日か近江八幡市の誇りを取り戻す事業として共感の輪が広がり始めました。昭和50年9月になり、ついに滋賀県は進みかけけていた改修工事を中止、国にその予算を返上することになりました。


かわら5


市民と行政による協力や連携により今日の姿まで回復を遂げた八幡堀では、今現在も、八幡堀を守る会、地元自治会、観光物産協会、観光ボランティアガイド協会、等の各種団体が清掃活動を続けています。まさに「八幡堀」は近江八幡のまちづくりのシンボル、また観光客の訪ねたい場所として風情ある風景を取り戻しました。保存運動の取り組みから約30年、今日では下水道化も進み市民の環境に関する考え方も変わってきました。しかしながら、この熱意ある運動が過去の出来事になってしまわないよう、今後の取り組みが問われています。


・・・ヴォーリズさんを訪ねて、近江八幡にやってきましたが、現在・過去・未来の老若男女が、それぞれの立場と発想で「町づくり(町おこし)」に取り組んでおられる様子を目の当たりにすることができました。充実した一日となり、ありがとうございました。