●開館10周年特別企画展「快走老人録Ⅱ-老ヒテマスマス過激ニナル-」
2014年8月9日(土)~11月24日(月・振休)
本展は、ボーダレス・アートミュージアムNO-MAの開館10周年を記念して開催する特別企画展です。当館では、障害者の作品と一般のアーティストの作品をボーダレスに展示する企画展を開催してきました。10周年の節目となる本展では、2006年に、同名のタイトルで実施し好評を博した展覧会の第二弾として開催いたします。第1弾から8年を経た今、高齢化はより切実な社会の課題となり、高齢者という言葉に対しての社会の捉え方も多様化しています。これまで経験したことのない超高齢社会を迎えた日本の現状を、NO-MAは「アール・ブリュット」というコンセプトで改めて見つめ直します。本展を通して、老いを豊かな人生の一部として捉え、命の尊さを創造力豊かに受け止めていただくきっかけとなれば幸いです。
・・・「老いてますます」は、私の命題でもあります。
【参考】野間清六家は、江戸中期に下総(茨城県)に出店して、幕末頃には 結城の御三家といわれるほどの勢力を誇りました。明治に入り当主が書画などを愛好する文化人として活躍を希望し、自主廃業しました。しかし広大な本家は往時を偲ばせます。明治初期に増築されたところには茶室があり、庭には豪華な石灯篭が多数おかれています。しかし、住人はなく長く放置されていました。
※野間清六(1902-1966)美術史家。明治35年2月12日生まれ。東京帝室博物館(現東京国立博物館)にはいり、美術課長・学芸部長などを歴任。日本美術史、とくに彫刻史の研究に業績をのこした。
【参考】折元立身
介護は芸術だ・要介護5の母をモデルに作品づくり/2014-5-23日本経済新聞
高齢者介護にまつわる深刻な悩みを、いっそのこと明るく笑い飛ばせたら。そんな思いをアートで表現するのは現代美術家の折元立身さん(67)。「アートママ」と名付けたシリーズで、自ら介護する実母をモデルに写真や映像を撮り続ける。先進国で高齢化が進む中、海外を中心に作品の評価が高まる折元さんに、芸術と介護の間で生み出される作品について話を聞いた。
折元さんは母親の男代(おだい)さんと川崎市の自宅に2人で暮らす。男代さんは現在95歳。要介護5の認定を受け、訪問看護やデイケアなどの介護サービスを利用する。しかしオムツ替えや食事介助、洗濯など同居する折元さんが負担する身の回りの世話は多い。何より大変なのは「毎朝3時ごろ、ばあさんの叫び声で起こされる」こと。約20年にわたる在宅介護生活の中で折元さんは制作を続け、男代さんとともに数々の芸術作品を作ってきた。
■小さな母と世界の舞台へ
その代表作となったのが「アートママ小さな母と大きな靴」(1997年)だ。撮影時、70代だった男代さんはすでにアルツハイマーとうつ病を患っていた。漫画に出てくるような大きな靴を履いているのは、男代さんが散歩中にぽつりと語った尋常小学校時代の悲しい思い出が発想のきっかけになったという。「ばあさんは子どものころから身長が低くて、朝礼では一番前に並んでいた。その時、前がパカッと破れた自分のゴム靴を先生にじっと見られて恥ずかしかったと言うんだ。貧乏で新しい靴は買えなかったから、背がもう少し高ければよかったと。だから、段ボールでこの大きな靴を作って履かせて、家の前で撮ったんだよ」この作品が海外キュレーターの目に留まり、2001年、イタリアの国際美術展ベネチア・ビエンナーレに展示され、高い評価を得た。写真が載った海外の新聞を見た男代さんは喜び、その姿を見た折元さんもアートが持つ前向きな力をあらためて感じた。「暗くて重い問題を明るく表現するからいいって、とくにヨーロッパで言ってもらえた。人種の違いを超えて共通する、家族というテーマが世界で受けたんだと思うよ。でも、それを狙ってやり始めたわけじゃない」
■芸術の道を支えたアートママ
折元さんが子どものころ、暮らしは貧しく、川崎市内の4畳半一間に一家5人で住んでいた。父には競馬場や競輪場に連れていかれた記憶しかないが、母は折元さんを人形浄瑠璃に連れていってくれた。絵を描くのが好きだった折元さんが東京芸術大学の受験を目指した時、応援してくれたのも母だった。「オヤジが油絵の具のにおいを嫌がったから、この人(男代さん)がアパート借りてくれたの。文化に理解があるんだ」折元さんは受験に7回失敗した東京芸術大学をあきらめ、69年、渡米した。カリフォルニア芸術大学で学んだ後、前衛芸術の大きなうねりが起きていたニューヨークへ移住。そこでナム・ジュン・パイクやヨゼフ・ボイスら名だたる美術家たちと出会い、パイクらと共に芸術運動「フルクサス」にかかわった。美術館を飛び出し、日常に芸術を持ち込むフルクサスの手法は、その後の折元作品にも強い影響を与える。折元さんは何本ものフランスパンを顔にくくり付け、街を練り歩くパフォーマンス「パン人間」を世界各地で実施し、笑ったり困惑したりする市民の反応を写真に収めた。
■介護芸術は記念写真から始まった
77年に帰国後、父親が亡くなり、各地を飛び回っていた折元さんが直面したのが、うつ病の症状が進んでいた母親の介護という現実だった。芸術家を志す自分を後押ししてくれた感謝の気持ちと、男兄弟3人の中で世話ができるのは独身の自分だけ、という思いから引き受けた。創作の道が閉ざされることに苦しみがあったが、ある時、「介護すること自体をアートにしたらいいんだ」と思いついた。そこで、男代さんと近所の友人たちに「記念写真でも撮ろうや」と呼びかけ、古いタイヤを首に掛けてもらって撮影したのが「タイヤチューブ・コミュニケーション母と近所の人たち」(96年)。折元さんは、摩耗して道端に捨てられたタイヤに社会から見放されたかのような高齢者のイメージを重ねた。「最初はみんなびっくりして嫌がったけど、うちのばあさんが『やる』って言うから、全員納得してくれた」要介護5になった今も、カメラを向ければオッケーサインを指で作るなどポーズを取る男代さん。折元さんがプレスリーの曲に乗せて男代さんのオムツ替えをする「エルビス・プレスリーのおむつがえ」(13年)など共同制作は続く。
■発想転換でつらい現実もプラスに
今年4月、ポルトガルの古都エボラで開かれた美術展「アレンテージョ・トリエンナーレ」に招かれた。折元さんは、元修道院の会場に500人もの地元のおばあさんを集めて昼食会を開くという、大規模なパフォーマンスを実施した。食事など生活の一場面をアートとしてとらえ、高齢者とコミュニケーションを深める。折元さんがベルを鳴らして参加者を席へ導き、皆で食卓を囲むと、おばあさんたちから自然と歌や踊りが始まる。年齢や言語の壁を越え、会場は大いに盛り上がった。当日の模様は収録しており、ビデオ作品として今後発表する予定だという。海外に比べ「わからないものを楽しむ自由さ、遊びの心が日本には少ない」と語る折元さんは、介護疲れで家族が自殺したり、心中したりといった介護にまつわる深刻な社会問題の広がりを憂える。「これからは介護する側もケアする仕組みが必要。おれにはアートがあったから、マイナスの現実もプラスに変えられた。ばあさんのウンチやおしっこのにおいが染み込んだ作品は、ほかの誰にも出せないリアリティーがある。何より、明るい性格を受け継がせてくれた、この男代さんから生まれたことが一番良かったな」
・・・まともに「衝撃」を食らいました。
◆酒游舘
523-0862滋賀県近江八幡市仲屋町中21/0748-32-2054
かつて、酒屋は酒を造り、酒を売り、酒を飲ませていました。ところが世の中がだんだん高度に発達してゆくうちに、必然的に「酒を造る人」「流通させる人」「売る人」「飲ませる人」と分化してきました。しかし、酒造という独特な空間に向かい合っていると郷土の料理を肴に、酒を味わい、人と語らい、茶などを喫む。こんな風景を再現してみたいという思いに駆られ、「みる」「のむ」「あそぶ」のキーワードが湧いて来て、酒蔵の一角が「酒游舘」となりました。築百年の酒蔵を改装した広々として、気持ちのよい空間、かつて酒を熟成させるための蔵として使われてきた建物です。絵画・写真・工芸品の展示・コンサート ・教室・映画上映会・パーティーなどにご利用いただけるよう、梁組などはそのままに、手を入れてみました。
※酒遊館では」ヴォーリズさんと軽井沢」について展示しています。
◆旧八幡郵便局(ヴォーリズ建築保存再生「一粒の会」)
523-0862滋賀県近江八幡市仲屋町中8/0748-33-6521
ヴォーリズの設計によって1921年に竣工して以来、1960年まで郵便局の局舎として使用されていた。その後玄関部分が取り壊されたが、2004年に復元された。現在はギャラリーやイベント会場などの多目的スペースとして活用されており、特定非営利活動法人ヴォーリズ建築保存再生運動一粒の会の事務所としても使用されている。スパニッシュと和風の町屋造りを折衷したデザインは、個性がありながら町並みに溶け込んでおり、旧市街中心部のランドマーク的役割を果たしている。
※旧郵便局では、「建築」というテーマで展示をしています。