ヴォーリズさんを訪ねて(2) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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・・・またまた「赤丸ポスト」発見です。


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◆【近江八幡市立郷土資料館】◆

523-0871滋賀県近江八幡市新町2丁目220748-32-7048

近江商人の代表的な人物西村太郎右衛門(安南貿易で活躍した商人)の邸宅跡に建てられた元八幡警察署の洋風2階健てを、そのまま利用した資料館です。館内には、市内の考古・民俗・美術工芸・文書などが常時展示されており、年に数回、特別展も開かれます。

西村太郎衛門について

慶長8年(1603年)に西村家2代目の次男として生まれました彼は、20歳の時に角倉了以の御朱印船で長崎から安南(ベトナム)へと旅立ちます。異国の地で商いに取り組み25年(正保4年・1647年)、帰国のため長崎まで帰ってきますが、時は鎖国の世であり上陸は許されず、安南の地で没した悲劇の商人です。彼が、長崎で故郷への思いを託し、絵師(菱川孫兵衛)に描かせ、日牟禮八幡宮へ奉納した絵馬「安南渡海船額」は国の重要文化財に指定されています。太郎右衛門の兄は、異国の地で亡くなった彼を思い、屋敷内に供養塔を建立。その後、昭和5年の御大典に併せて造成された「八幡公園」に移されました。


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・・・郷土資料館に隣接して、


歴史民俗資料館

森五郎兵衞の控宅で、近江商人(八幡商人)の往時をしのぶ帳場風景や生活様式をそのまま残し、そのほか多くの民俗資料を展示公開しています。裏庭には、民具。農具などが展示され、水郷地帯の農村の生活を知ることができます。初代五郎兵衞は、伴傳兵衞家に勤め、別家を許され、煙草や麻布を商いました。やがて、呉服・太物など取扱商品を増やし、江戸日本橋や大坂本町にも出店するなど活躍しました。現在も、東京日本橋室町に近三商事株式会社として活躍中です。


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・・・そして、郷土資料館・歴史民俗資料館の前にあるのが、


◆【近江八幡市立資料館(旧伴家住宅)】◆

江戸初期に活躍した八幡商人で屋号は『扇屋』。寛永年間に東京日本橋に出店し、麻布、畳表、蚊帳を商った。しかし、繁栄を誇ったものの、明治維新等の激動期に逆らえず、明治20年に終えんした。現建物は、7代目庄右衛門能尹が本家として、1827(文政10)年から10数年かけて建築したもので、明治時代になって八幡町に譲渡し、小学校、役場、女学校として使用されました。戦後は近江兄弟社図書館として使用され、後に近江八幡市の図書館となり、移転に伴って1997(平成9)年にその役目を終え、2004(平成16)年から市立資料館の一部として開館しています。玄関を入ると大きな「左義長」の飾り物が展示されています。


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そして、郷土資料館・歴史民俗資料館の裏手にあるのが、


旧西川家住宅

西川利右衛門は屋号を大文字屋と称し、江戸・京都・大阪に店舗を構え、蚊帳・畳表などの商いで財を成した。西川家は初代から11代まで約300年にわたり活躍したが、昭和5年に子孫が途絶え、土地と建物は市に寄贈された。現在の建物(主家)は3代目によって宝永3年(1706年)に建てられたもので、昭和58年(1983年)1月7日に国の重要文化財に指定され、昭和60年(1985年)10月より33か月の工期を経て改修された。主屋は切妻造、瓦葺、一部2階建。南北に通る新町通りの西側に建つ。建物の下手(北側)は「店土間」「玄関土間」「台所土間」と続く通り土間とし、店土間の南と北の新町通りに面する側に板の間の「店」を設ける。「玄関土間」「台所土間」の南側には2列に居室を設け、さらに南側には庭園に面した座敷部を突出させる。全体に質素な意匠であるが、建築材料には良材を選んでいる。庭に建つ土蔵は、近世のものとしては珍しい階建てである。


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・・・一箇所にこれだけ集中していたので、かなり濃厚・濃密な見学となりました。しかし、ヴォーリズはまだまだ「これから」なのです。