・・・こんなチラシをもらったものですから、行くしかないでしょ。ということで、近江八幡市にやってまいりました。
★ヴォーリズ・メモリアルin近江八幡
2014年10月4日(土)~11月3日(月・祝)★
2014年は、滋賀県近江八幡市ゆかりのウイリアム・メレル・ヴォーリズ(一柳米来留・1880.10.28-1964.5.7)没後50年にあたります。ヴォーリズは日本中に1,500以上の建築物を設計するなど建築家として有名ですが、伝道、医療、教育、製薬販売事業、音楽や詩作、国際交流など幅広い分野にたいへん多くの実績を残しています。ヴォーリズ没50年のこの機会に、彼の生涯や功績等を知り、そこに流れる「いのちへの眼差し」に触れてみませんか。ヴォーリズ建築物が全国でも例をみない数で存在する街・近江八幡の旧市街地および安土の同建築物や展示・イベント会場を用いて、建築図面の公開を含むパネル展示やシンポジウム、講演会、文学・美術・音楽・映像など幅広い分野の記念企画展を開催します。
・・・まずは、◆日牟礼八幡宮◆を目標に進みます。
523-0828滋賀県近江八幡市宮内町257/0748-32-3151
八幡山の南麓に鎮座。白壁の楼門や銅板葺の拝殿、本殿が老大木の中に並ぶ。近江商人の事跡を物語る「安南渡海船」額が収蔵されている。
・・・最初から「赤丸ポスト」に出会うとは縁起がいいですね。
・・・その真ん前に、ヴォーリズ・メモリアルの本部◆白雲館◆があるのです。
523-0864滋賀県近江八幡市為心町元9番地/0748-32-7003
1877年に八幡東学校として建てられた擬洋風建築である。建設費の六千円(当時)は大半が市民の寄付によるものであった。1994年に解体修理された際に創建時の姿に復元され、以降観光案内所等として活用されている。現在、館1階には近江八幡観光物産協会の事務所が置かれ、観光案内資料や写真展示および絵葉書や特産品の展示販売のスペースとなっている。2階は通常休憩所として利用されているが、ギャラリー利用のほかイベント開催などにも対応している。
・・・見学パスポートと散策マップをいただいて、まずは「近江兄弟社」をめざします。
◆近江兄弟社メンターム資料館◆
523-0867滋賀県近江八幡市魚屋町元29/0748-32-3131
明治38年(1905年)に滋賀県八幡商業学校に赴任してきた建築家W・M・ヴォーリズが、明治40年に八幡基督教青年会館を建設してバイブル・クラスを開設した。そのため、町民の反感を買い教師を解職させられた。明治41年に京都YMCA内にヴォーリズ建築事務所を開き、学校、教会、病院などの設計・建築を行った。大正11年(1920年)には「近江セールズ株式会社」を創業する。後に現社名へ変更された。キリスト教の信仰に基づいた社業では、「メンターム」など皮膚薬のトップメーカーとして着実な業績を挙げている一方、近江療養院などの病院、老人保健施設、学校なども経営している。また、一時はハモンドオルガンの輸入代理業務も行っていた。本社は滋賀県近江八幡市魚屋町元29。企業キャッチコピーは「Operations on Mission Industry」。社名の由来は、近江と「人類皆兄弟」の精神から命名したものである。近江兄弟社の以前の主力商品は、メンソレータムであった。
メンソレータムは、アメリカ合衆国の「メンソレータム社」の製品であり、近江兄弟社が日本国内の販売権を持ち日本国内向けに販売、その後、製造も手がけるようになった。しかし、創業者のヴォーリズの亡きあと、経営が苦しくなり、自主再建を断念し、1974年12月24日に近江兄弟社は倒産し、メンソレータムの販売権も返上した(その後、翌年の1975年にメンソレータムの販売権はロート製薬が取得、さらに1988年にはメンソレータム社本体もロート製薬に買収された)。近江兄弟社は、その後大鵬薬品工業(現在は東証1部上場企業で大塚HDの傘下)の資本参加で再興をはかったが、その時にはもうメンソレータムの商品名を使うことができなくなっていた。そのため、メンソレータムの製造設備を利用してオリジナルの類似製品を販売するにあたり、メンソレータムの略称として従前より商標登録してあった「メンターム」を商品名として用いることとした(メンタームの商標は1965年7月27日に出願され、1967年10月3日付で登録(第757274号)されている)。この「メンターム」を、自社の主力ブランドとして育て、今に至っている。なお、かつてはメンタームは医薬品、メンソレータムは医薬部外品とされていたが、今日ではいずれも医薬品(主に第3類医薬品)とされる製品と医薬部外品とされる製品がある。
・・・もちろん、お土産に「メンターム」を購入しました。近江八幡はヴォーリズさんだけではなく、様々な史跡がありますので、忙しくなりそうです。