★大坂の陣400年プロジェクト
慶長3年(1598)8月18日に豊臣秀吉が亡くなると、豊臣政権内部の対立が激化し、慶長5年9月15日には関ヶ原合戦が起こり、徳川家康率いる東軍と石田三成ら西軍が激突。この合戦に勝利した徳川家康は慶長8年2月12日に征夷大将軍に任ぜられ、江戸に幕府を開きます。けれども大坂城には秀吉の遺児豊臣秀頼が母淀殿とともに未だ健在で、徳川家を凌ぐ権威を保持したまま君臨していました。この豊臣家と徳川家という二大権力の最終決着戦となり、戦国時代最後の大合戦となったのが「大坂の陣」で、慶長19年10月~12月には「大坂冬の陣」、翌20年5月には「大坂夏の陣」が起こり、慶長20年5月7日に大坂城は落城し、翌8日に秀頼・淀殿が自害して豊臣家は滅亡しました。来る平成26年は「大坂冬の陣」から400年、翌27年は「大坂夏の陣」から400年という節目を迎えることから、大阪城天守閣ではこの両年を「大坂の陣400年」イヤーと位置付け、展覧会をはじめとするさまざまな事業を通じて、秀吉没後の豊臣家や「大坂の陣」について理解を深める機会にするとともに、多くの方々に大阪城、さらには大阪市内・府下各所に存在する大坂の陣ゆかりの地へと足をお運びいただき、広く大阪の歴史や魅力に触れていただく機会にしたいとも思っています。
・・・お誘いを受けた上宮高校「書道部」パフォーマンスは、午後からの登場ですから、ぜひとも午前中に見ておきたいもの・目的があります。今回は孫もいっしょですから、いかに退屈させないで、しかも私の目的を達成するかという課題がありました。
◆大阪城天守閣
●大坂の陣400年記念特別展「浪人たちの大坂の陣」
平成26年10月11日(土)~平成26年11月24日(月・振休)
今から400年前の慶長19年(1614)、ここ大阪の地を舞台に豊臣・徳川両軍が対決する「大坂冬の陣」が勃発しました。大坂城の豊臣秀頼は徳川軍の包囲に耐えて講和に持ち込みましたが、翌年再び起きた「大坂夏の陣」によって敗北。大坂城は炎上して秀頼は自害し、父秀吉が築き上げた豊臣家の栄華は永久に地上から姿を消しました。この戦いで最も華々しい活躍を見せたのが、各地から大坂城にはせ参じた浪人(牢人)たちでした。彼らは大軍を前に一歩も引くことなく、徳川軍を大いに苦しめ、驚かせました。浪人といえば、仕える先を失った、武家社会の脱落者のようにみなされがちですが、戦国時代には自らの意志で仰ぐべき主君を変え、浪人になることを恐れない武士がたくさんいました。彼らの旺盛な自立心こそが乱世に活力を与えたといっても過言ではなく、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康といった天下人はそうしたうねりの中から現れ、統一政権を打ち立てたのです。秀吉による天下統一、関ヶ原合戦、家康による幕府開設を経て世の中が混沌から秩序へと向かう中、浪人たちは、大坂の陣という戦国最後の内戦において「乱世の活力」を再び解き放ち、歴史に名を残しました。本特別展では、こうした浪人たちの生きざまに焦点をあてます。あわせて当時の社会や、戦後の浪人たちの動向などにも注目し、今もなお私たちをひきつけてやまない大坂の陣の魅力に迫ります。
・・・エレベータ待ちの長い行列を尻目に、孫といっしょに天守閣まで駆け上がりました。元気な子どもは階段を使いましょう。そして、見下ろしながら、これから行く場所などを説明しました。上からと下からの眺めで大きさを実感したようです。そして、これからの予定=目安を実際に眼で確かめることで安心したようでもありました。
・・・私の最大の収穫は、大阪城の「登録有形文化財」プレートを発見したことです。出口横の壁、しかも低い位置に設置されていますので、これまで気付きませんでした。
★もと大阪市立博物館(期間限定レストラン)
540-0002大阪市中央区大阪城1-1/06-6941-2502
10月1日(水)~12月31日(水)
昭和御大典記念事業として、市民からの寄付金により再建された大阪城天守閣とともに建設された建物。ロマネスク様式の重厚な建物のいたるところに凝った装飾が施されており、天守閣とは全く違った様式を用いて、その存在感を強く示しています。終戦後、大阪市警察庁本部、大阪府警察本部を経て、地域の歴史を扱う博物館の先駆的存在として運営されてきましたが、大阪歴史博物館の開館にともない2001年に閉館。その後は数回の一般公開などで使われるのみとなっていました。
この度、博物館や美術館としての利用にとらわれず、大阪城来場者の憩いの場として、また国内に限らず、海外からの観光客の皆様が楽しめる特別な空間として3ヶ月限定でパーティや団体様でのお食事にご利用いただける会場としてOPENいたします。彩り華やかなフレンチのオードプルプレートをシェフ特製の華やかな冷製料理の数々を盛り込んだオードブルプレートをメインに、お好みに合わせてお魚料理かお肉料理をお選びいただけるメニューをご用意しました。新鮮な野菜の素材を活かし、旨味を最大限に引き出したスープやじっくり煮込んだお肉料理の数々もシェフ自慢の一品です。大阪城天守閣そばの特別な場所で、思い出に残るひとときをお過ごしください。
・・・ふだん入れない文化財、期間限定ですが、しかもこんな形で入れるなんてラッキーです。ぜひ、この機会を逃さないようにしてください。
・・・お子様ランチも高級な味付けでした。結局、私の「城石カレー」を孫が食べ、私が「お子様ランチ」を味わったのです。
【参考】大坂城「豊臣石垣」公開プロジェクト
豊臣秀吉が天下統一の拠点として築城した初代大坂城は、「三国無双の城」と讃えられる豪壮華麗な城であったと伝えられています。しかし、1615年の大坂夏の陣で豊臣方が敗れた後、徳川幕府により豊臣大坂城を覆い隠すように徳川大坂城が築かれて以来、今も地下に眠り続けています。大阪市では、大坂夏の陣から400年を機に、秀吉が築いた初代大坂城の石垣を掘り起こし、激動の時代を物語る豊臣石垣の公開事業に取り組んでいます。大阪城の歴史文化の魅力向上をめざす「豊臣石垣公開プロジェクト」にご賛同いただき、多くの皆様のご支援をお願い申しあげます。
・・・孫が興味深く見ていました。子どもは「穴掘り」が好き?です。博物館内のトイレは使用できませんので、話題のトイレへ。私が用を足していたら、前からニュ~と顔を出して、大喜びでした。
◆西ノ丸庭園
昭和6年(1931)、市民による浄財・約150万円(現在の約750億円に相当)を費やして建て替えられた大阪城天守閣。その天守閣を中心に広がる大阪城公園には大手門、千貫櫓、火硝蔵など13棟の重要文化財や、梅林、西の丸庭園などがある。豊臣秀吉の正室・北政所の屋敷があった場所とされている西の丸庭園は、昭和40年(1965)、総面積約64,000平方メートルの芝生庭園として開園。周囲を樹木に囲まれ、天守閣や掘の石垣が美しく眺められる。春はソメイヨシノを中心に約300本のサクラが咲き競い、花見の名所としても有名。開花期間は観桜ナイターも開催され、大勢の花見客が訪れる。西の丸庭園の東北隅には昭和44年(1969)、松下幸之助氏から寄贈された茶室「豊松庵」もある。
★西の丸ドーム
2014年10月1日(水)~12月7日(日)
直径36メートルの巨大ドーム型テントが西の丸庭園に出現します。この西の丸ドームの内部は、収容人数1000名を越えるイベント会場。ジャズコンサートや、放送局やレコード会社と連携したライブミュージック、はたまた日本ならではの伝統芸能など、多彩なイベントが催されます。詳細スケジュールなどはWEBサイトで随時更新していきます。
・・・まもなく、「上宮高校」書道部が登場します。