・・・本当に清水は、左右は当然のことで、上を向いたり下を見たりと、首の体操で忙しいことです。
・・・せっかくですから、もう少し清水を満喫しておきたいと、帰り道もゆっくりじっくりと、
◆【夢二カフェ「五龍閣」】◆
605-0862京都市東山区清水2-239/075-541-7111
清水坂の傍らにある建築家武田五一が設計したセセッションスタイルの西洋館。大正3年(1914年)、製陶家松風嘉定の邸宅として竣工した。別称は旧松風嘉定邸。平成11年(1999年)に国登録有形文化財に登録された。現在は株式会社順正のカフェレストラン順正清水店として活用されている。夢二と、当店店主祖父の音楽家近藤義次とは親交があり、交された書簡や夢二楽譜が当店に残されています。清水は夢二にとって、大正六年清水二年坂、高台寺南門と移り住み、短い間でしたが生涯最愛の彦乃と幸せな日々を過ごした土地です。五龍閣(大正十年竣工・国の登録文化財)で夢二作品に囲まれ、大正ロマンを満喫してください。
※三代松風嘉定(1870~1928)
瀬戸の陶工の家に生まれ、京都清水焼の窯元「松風家」の養子となった。普通、和陶器から洋陶器に発展することは考えても、三代松風嘉定が普通でなかったのは、清水焼から端を発して電気の絶縁に使う碍子、口の中に納める義歯を造った。大正11年には「松風陶歯製造株式会社」を設立し、財を成した。この会社は現在一部上場の「株式会社松風」として継続されている。義歯で成功した松風嘉定は「八坂の五重の塔」と「清水の三重の塔」の間に四階建ての別邸、すなわち「四重の塔」を建てた。この展望楼からは京都の町が一望できる。
・・・何度も清水に来てるのに、知らなかったなあ。寄道・脇道・裏道にこそ、伝統文化ありです。
※武田五一(1872~1938)
備後福山藩(現・広島県福山市)生まれ。「関西建築界の父」とも言われる日本の建築家で、近代日本を代表する建築家の一人。ヨーロッパ留学で影響を受けたアール・ヌーボー、セセッションなど、新しいデザインを日本に紹介した建築家とも言われる。建築以外にも工芸や図案・テキスタイルデザインなども手掛けた。自身の作品のみならず、京都高等工芸学校(現・京都工芸繊維大学)図案科や京都帝国大学(現・京都大学)に工学部建築学科を創立し多くの後進を育成した。国会議事堂建設をはじめ多くのプロジェクトに関与している。法隆寺、平等院などの古建築修復にも関わりが深い。
・・・岡崎公園にある「京都府立図書館」も、武田五一さんの建築です。後ほど見に行くことにしましょう。
【参考】産寧坂
三年坂とも呼ばれる。東山の観光地として有名である。狭義には音羽山清水寺の参道である清水坂から北へ石段で降りる坂道をいうが、公式には北に二年坂までの緩い起伏の石畳の道も含む。二年坂を介して北にある八坂神社、円山公園、高台寺、法観寺(八坂の塔)と南にある清水寺を結んでいるため、観光客が絶えない。沿道は土産物店、陶磁器店、料亭などが並ぶ。文化財保護法に基づき重要伝統的建造物群保存地区として選定されている。幕末の明保野亭事件の舞台である。
「産寧坂」の語源には諸説あり、この坂の上の清水寺にある子安観音へ「お産が寧か(やすらか)でありますように」と祈願するために登る坂であることから「産寧坂」と呼ばれるようになったという説が有力だが、一方で清水寺に参拝した人がこの坂道を通る際に念願を強くし、願いが叶ったあとで観音様への御礼に再度お参りする時に通る坂であることから「再念坂」と呼ぶようになったという説もある。
・・・「三年坂」から少し路地に入った、静かな店で昼食しました。
・・・「イノダ」には入らず、お庭だけを見学させてもらいました。
◆青龍苑(霊鷲山荘)
605-0862京都市東山区清水三丁目334/075-561-3160
平成12年7月15日、料亭「京都阪口(霊鷲山荘)は青龍苑として生まれ変わりました。京都の東を司る四神の「青龍」にちなみ、青龍苑と命名されました。当地は清水寺の北に位置し、古くは木下長嘯子(勝俊1569-1649)の隠棲の地であったことが知られています。桃山歌人・木下長嘯子は豊臣秀吉の正室北政所の甥にあたり、儒家の林羅山や茶人、また小堀遠州ほか、多くの公家らと交流し、和歌は古今伝授をなした細川幽斎に学びました。この地が近世から近代にかけて書画や茶会等の舞台として多くの墨客を集め、古くから文芸的な雰囲気に包まれていたことに由来し、苑内には草庵形式の茶室も見られます。先人たちの思いがあふれる庭園や伝統的建築物を保存しながら、現代にも融合する機能を備え、数多くの歴史的由縁とともに青龍苑は次代へと伝承されます。
庭園の茶室の位置は真行草の3つの格に従って新しく配置しました。山側に位 置する茶室「三玄」は山の茶室で真、中腹にある茶室「長嘯庵」は行。床下には小川が流れ、川の茶室として位 置付けました。またその隣の待合からは再現された滝を臨むことができ、滝見の待合としました。池の畔に佇む小さな茶室「清涼」は池の茶室で草とし、新たな眺望を試みました。産寧坂に面する通りには,北から蔵造り、町家造りと続き、伝統的建築物を保存・再生した棟と、合掌造りや洋風のトラス構造を取り入れた蔵造りの新築棟が軒を連ねています。また広大な庭園は、小堀遠州と並び賞される近代の名工「植治」こと小川治兵衛氏によって造営されたものを再構築しました。
・・・せっかく京都まで来ましたので、岡崎公園に行くことにします。