イザ!大阪FW(3) | すくらんぶるアートヴィレッジ

すくらんぶるアートヴィレッジ

●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●

松下幸之助創業の地大阪市福島区大開1丁目



まつ1


・・・とにかく歩いてみましょう。


西野田工科高校の東側に大開公園がある。公園の北西入口に表面に「松下幸之助創業の地」と刻まれ裏面には「道」という 松下幸之助氏の詩を記した緑色自然石の碑が建っている。創業の地碑の横には『記念碑「松下幸之助 創業の地」由来』という副碑と『「松下幸之助創業の地」周辺地図』という説明板がある。ここは松下幸之助というより“松下”という企業グループの発祥の地である。「創業の地 周辺地図」には(1)「松下電気器具製作所」の創業時の建物(2)第一次本店・工場の建物(3)第二次本店・工場(4)第二工場(ランプ組立工場)の写真とその場所を示す地図が示されている。なお東成区玉津二丁目には「松下幸之助起業の地」という石碑がある。福島区で「電気器具製作所」を創業する前年にこの地の借家で妻と義弟(井植歳男氏=後に三洋電機を創業)の三人で改良ソケットを作った。


まつ2


記念碑「松下幸之助 創業の地」由来

松下幸之助氏:1894.11.27~1989.4.27 (和歌山県海草郡和佐村出身)

この地大開(おおひらき)は松下電器産業株式会社の創業者松下幸之助氏が大正7年(1918)3月7日同社の前身「松下電気器具製作所」を創立した創業の地です。のちに経営の神様と呼ばれ世界中にその名を馳せた松下幸之助氏は23歳の若さで配線器具の製造・販売を始め昭和8年(1933)に門真市に移転するまでの15年余をこの地で過ごし事業の進展とともに逞しく大開から巣立っていきました。松下幸之助氏は大開の人情や風土に育まれ大開小学校の保護者会会長や大正14年(1925)には区会議員に当選するなど文字通り大開の一員として充実した日々を過ごしました。松下電器の業容の発展にともない移転を余儀なくされたものの終生本籍をおいていたことが物語るように大開は同氏ときわめてゆかりの深い土地であります。平成15年(2003)3月大開連合町会は大開に松下幸之助氏の事蹟を偲ぶよすがもないという現状に鑑みて福島区「大開町と松下幸之助に関する事業」委員会を結成しその一貫としてかつて松下電器製作所の第二次本店・工場のあったここ大開公園に記念碑「松下幸之助 創業の地」を建立することを発意しました。松下幸之助氏の記念碑を建立することは大開の願いと誇りであると共に一企業の創業者にとどまらず社会経済国家や人間のあり方についての思索探究を重ね世界文化の進展に貢献しようと諸活動を続けた同氏の類いなき功績を顕彰するものとして大きな意義があるものと考えます。この趣旨に沿い 広く一般有志の皆さまにご協力をお願いしたところ多くのご賛同をいただき平成16年(2004)11月27日同氏生誕110年のよき日に生誕の地和歌山を代表する緑泥片岩を碑石としてこの記念碑を建立し大阪市へ寄贈することができました。ご支援をいただきました皆さまに心より感謝と御礼を申し上げます。建立:平成16年(2004)11月27日福島区「大開町と松下幸之助に関する事業」委員会


まつ3


松下幸之助

自分には

自分に与えられた道がある

広い時もある

せまい時もある

のぼりもあればくだりもある

思案にあまる時もあろう

しかし心を定め

希望をもって歩むならば

必ず道はひらけてくる

深い喜びも

そこから生まれてくる


・・・とにかく「道」を歩き続けましょう。


まつ4


・・・次は「江之子島」へ。


◆【大阪府立江之子島文化芸術創造センター】(旧大阪府工業奨励館附属工業会館)◆


550-0006 大阪市西区江之子島2丁目1番34号06-6441-8050

enocoは2012年にオープンした新しい施設ですが、建物は古い歴史をもつ近代建築です。1938(昭和13)年に建てられたものを、コンバージョン(用途変換)しました。そしてenocoのある江之子島というエリアも、大阪の近代の歴史にとってとても重要な場所です。

「江之子島」という町名の通り、かつてこの地は文字通りの島でした。水都大阪といわれるように、かつて大阪の中心部、特に西区には、何本もの堀川が流れていました。江之子島は木津川と百間堀川とに挟まれた、中之島を小さくしたような中洲だったのです。木津川は現在もそのままですが、戦後になって東側に流れていた百間堀川が埋め立てられ、島でなくなりました。1874(明治7)年、初の本格的な大阪府庁舎がこの江之子島に建てられました。enocoのすぐ北側です。西洋の古典様式に倣った重厚な建築は、「江之子島政府」と呼ばれて名所となりました。大阪市庁舎も、最初は江之子島に設けられました。この地は、かつて大阪の行政の中心地だったのです。そして木津川の対岸には、外国人の暮らす川口居留地がありました。洋館が建ち並ぶモダンな街は、新しい文化の発信地となりました。1926(大正15)年、大手前に新しい大阪府庁舎が完成して行政機能は移転し、空き家となった江之子島の建築には、大阪府工業奨励館が設けられました。最新の工作機械や実験機器が揃えられ、大阪の中小企業の工業の近代化に貢献しました。enocoの建物は、この工業奨励館の附属棟として1938(昭和13)年に建てられた工業会館です。残念ながら、元の府庁舎は戦争の空襲で焼失してしまいました。残ったこの増築棟は、大阪における数少ない戦前期のモダニズム建築として、貴重な存在です。


まつ5


【コンセプト】私たちを取り巻く様々な環境の変化により、私たちの生き方そのものにも変容を迫られています。その結果、一昔前では想像もつかなかった問題が露見してきました。それらの多くは、従来の社会構造、発想では解決がつかないものばかりです。私たちは、従来の既成概念や仕組み、方法論に縛られることなく、過去の延長線上ではない新たな価値創造を目指した Be Creative の精神で、社会や地域、人々が抱える様々な問題や課題を解決していきたいと思っています。そのためにenocoでは(1)クリエイティブの創造・振興(2)都市魅力創造(3)教育・次世代創造(4)産業創出(5)交流・発信(6)社会実験事業の6つの事業領域を設定し、積極的に事業展開をしていきます。私たちが抱えるビジョンやミッションは、様々な人々との協創があって初めて実現できるものです。 皆さまの創造力、知識・知恵、情熱をお貸し下さい。一緒に、これからの都市の在り方の規範となれるような「OSAKA」を創っていきましょう。



大阪府20世紀美術コレクション

大阪府は、国内外の20世紀後半に生まれた美術作品を中心に、約7800点に及ぶ様々な美術作品を収蔵しています。現在、美術品の管理はenocoが行っています。美術館以外にも、オフィスのエントランスなどへの貸出も積極的に行っております。

アートでつむぐ、5つのストーリー―5人の市民キュレーターによる、大阪府20世紀美術コレクション展―2014年8月19日(火)~8月30日(土)

アートや美術館に関心を持つ5名の一般の方々が“市民キュレーター”となって、大阪府所蔵のモダンアート作品(大阪府20世紀美術コレクション)による展覧会を作りました。美術作品とのつき合い方は、見る人の数だけあります。作品もまた、誰がどう向き合うかで、それぞれ異なる顔を見せてくれます。様々な立場や経歴の“市民キュレーター”が作るこの展覧会で、モダンアートの新しい魅力を見つけてみませんか?