イザ!大阪FW(2) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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・・・「王仁博士」と「此花区」の不思議な関係とは、

【参考】此花区は1925年(大正14年)、大阪市西区に属していた現在の此花区周辺と、北区に属していた現在の福島区周辺が、元の区から分離して合わさることで新設された。新しい区の名前を巡っては市会などで議論があり、玉川区・福島区・野田区・朝日区・四貫島区など、各地域がそれぞれの地元の地名を区の名前にしようとした。結局、王仁が詠んだとされる難波津の歌(「難波津に咲くやこの花冬ごもり今は春べと咲くやこの花」)から此花区という名に決まった。



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◆【大阪市下水道科学館】◆

554-0001大阪市此花区高見1-2-5306-6466-3170


・・・水に関するミュージアムにはカエルちゃんがいるはずです。



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下水道科学館は、下水道の役割をできるだけ多くの人々に知っていただくことを目的に、大阪市の近代下水道事業着手100周年を記念して1995年に設けられた下水の事を楽しく学べる施設。さまざまな展示を楽しみながら、下水道のしくみと働きや大阪市の下水道の特徴を学んでいただける参加体験型の施設です。海老江下水処理場に隣接しています



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舞洲スラッジセンター

554-0041大阪市此花区北港白津2-2-706-6460-2830

舞洲スラッジセンターがめざすものは、下水汚泥を効率的に安定して処理下水汚泥の輸送をトラックからパイプへ下水汚泥の処分を埋立処分から有効利用です。下水処理場には汚水を処理する『水処理施設』と、汚水を処理するときに発生する汚泥を処理する『汚泥処理施設』があります。家庭や工場から出た汚水や雨水は下水道管を通り下水処理場へ集め、処理し、川に放流します。汚水を処理するときに発生する汚泥は、濃縮⇒消化⇒脱水⇒溶融又は焼却しています。消化は汚泥を安定・減量化し、汚泥の処理(脱水・溶融又は焼却)を低コストで行うために必要な処理です。大阪市では独自の消化技術を開発し、汚泥を半分程度に減量しています。また消化槽で発生した消化ガスはメタン(CH4)を多く含み、発電や消化槽の加温(温水器)の燃料として利用しています。焼却は汚泥を埋立処分するのに際し、減量・安定化するため行っています。溶融は焼却に替わる処理方法で、溶融炉で生成する溶融スラグは建設資材として有効利用を図ることとしています。舞洲スラッジセンターは、環境保護の視点に立った環境保護芸術家として有名な、オーストリアの故フリーデンスライヒ・フンデルトヴァッサー氏がデザインしました。下水道整備初期は早く全市域に下水道を整備するため、施設の外観にあまり費用をかけることができませんでした。近年は、建設後50年以上を使用されることから、新たに造る施設は色彩検討やデザイン検討を行い、周辺環境との調和をめざしています。



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海老江下水処理場

553-0007大阪市福島区大開4-1-14106-6462-1519

海老江下水処理場は、大阪市で最も早く昭和15年津守下水処理場とともに通水し、昭和42年此花区高見地区に拡張が行われました。そのため、「海老江側」と「高見側」の2系統の施設に分かれた下水処理場となっています。また、大阪市の近代下水道事業着手100周年を記念して建設された「大阪市下水道科学館」が隣接しています。


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【参考】淀川(現在の旧淀川)の河口に位置する福島区一帯は、河川土砂の堆積した三角州であった。縦横に分流した川に囲まれた葦が生い茂った島々は、難波八十島と呼ばれ現在でも福島・堂島・都島・難波島などという地名にその名残をとどめている。また、古くより福島の地は瀬戸内海へ向かう船の出発地として使われてきた。福島天満宮の社伝によれば、平安時代の901年に菅原道真が、九州大宰府へ配転させられた際、当地の里人徳次郎が旅情を慰めたことをいたく喜び、この辺りを餓飢島と呼ばれていたのを福島と名づけたという。


・・・「下水道科学館」から東へと進み、「野田阪神」駅前までやってきました。