東大阪FW(2) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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・・・残念ながら実際には見ておりませんが、



しょう1


樟古館登録年月日:20070731

大正7年の学園創立時に建てられた木造建築物の中で唯一残っている建物です。当初は「洗濯教室」と「試食室」という異なる場所に建てられた2棟の建物でした。昭和40年代に入り学園内の多くの建物が鉄筋コンクリート製へと変わっていく中で、創立当時の面影を残す貴重な建物として保存する機運が高まり、昭和44年3月に創立50周年記念事業として現在の場所に移築され「樟古館」と名づけられました。現在は学生生徒のクラブ活動等に利用されています。半切妻屋根とハーフティンバースタイルの外観をもつ瀟洒な建物であり、2棟ともに外壁を真壁として柱や桁・梁・筋交をみせており、外観に洋風を意識した大正期建築の特徴が表れています。平成19年に、樟蔭学園で3件目の国の登録有形文化財(建造物)に登録されました。建築年大正7年施工森川組(森川彌三郎)旧洗濯教室(木造平屋建120㎡)旧試食室(木造平屋建23㎡)



・・・伝統ある学校は、そのものがミュージアムですね。さて次は、少し東大阪市からはみ出ますが、


しょう2


深江稲荷神社

537-0002大阪市東成区深江南3丁目16-1706-6971-4223

当社の創建年代は垂仁天皇の御代、笠縫氏の祖が摂津国東生郡笠縫島の宮浦の地(今の深江南三丁目の地)に居を定め、下照姫命を奉祀したのを始めとし、その後元明天皇和銅年間に山城国稲荷神社の御分霊を勧請したと伝えられています。慶長八年豊臣秀頼が片桐市正、加藤左馬介に命じ、社殿を改築しましたが、慶長十九年に兵火により消失、その後、宝暦十年に本殿及び絵馬堂を再興し、寛政八年に本殿・拝殿に修理を加え、同時に石鳥居を再建し、明治五年に村社に列せられました。 昭和四十七年には、大阪府史跡「摂津笠縫邑」に指定され、平成三年、神社本庁モデル神社の指定を受けると共に、本殿・拝殿・社務所等が改築されました。境内には笠縫部の祖を奉祀する笠縫社があります。笠縫氏は世々大和笠縫邑に住み、皇祖の御鏡を守護していました。垂仁天皇の御代、その一族は浪速の入江、片江、深江の島(笠縫島)に移り住み、世々菅笠を作るを生業とし、伊勢神宮式年遷宮の行われる毎に御神宝の菅御笠・菅御翳を調進したそうです。又、歴代天皇御即位式の大嘗祭に用いられる御菅蓋も深江より調進されました。菅笠 は古くは専ら貴顕の用に供されたものですが、近世に至り、一般人の旅行用あるいは作業に用いられ、伊勢参宮などには必ず携帯する習慣となったことは『摂津名所図会』に記されています。同じく境内の御饌津社は霊亀元年伊勢外宮より豊受御饌津神の御分霊を移し、奉祀せるものであります。



しょう3


◆【人間国宝角谷一圭記念深江郷土資料館】◆

537-0002大阪市東成区深江南3丁目16-1406-6977-5555

2010年7月に深江郷土資料館がオープンした。こは大阪市の施設ではなく、地元の篤志家が土地と建設費用を提供して建てられたものである。その篤志家とは、深江郷土資料館理事長に就任した石川健二さん。石川さんによると、管理も地元の方60人ほどが十数組に分かれて順番に担当し、土曜、日曜、祝日のみ無料で開館しているとのこと。そこに、東成区役所(大阪市)も、ふるさと納税を財源とした大阪市市民活動推進基金を活用して、資料館の展示や資料作り面で協力しているそうです。深江は、昔、スゲの産地でした。それを使った菅細工が盛んで、暗越(くらがりごえ)奈良街道では菅笠が売られていました。今も20年に一度行われる伊勢神宮の式年遷宮の際は、深江から菅笠が献納されます。資料館には、中央に展示されている直径170センチもの菅笠をはじめ、菅細工製品が並んでいます。また、資料館の横では菅田が復活していて、3年後の式年遷宮には、そこで育てられたスゲを使って作った菅笠が献納されるそうです。

そして、深江出身の釜師、人間国宝角谷一圭(1904-1999)の作品があります。子息で角谷家釜師三代の征一さんによると、茶道では秋から冬場に使われるのが大きめの炉釜、春から夏場に使われるのが筒状をした小さめの風炉釜とのこと。ここでは、その両方の作品を2種類ずつ見ることができます。また、角谷家は伊勢神宮に銅鏡を納めてきました。征一さんは、過去2回、手伝いとして銅鏡作りに携わってきましたが、次回の式年遷宮では自らが主役となります。資料館には、前回、納められた銅鏡のレプリカと言ってもいいほどよく似た、一圭作「花喰双鳥文白銅鏡」が展示されていて、滅多に見ることができないものを目にすることができます。

石川家所蔵の楽焼きの茶碗。千利休が特に好んで銘を付けた楽家初代の長次郎作と伝えられる茶碗、大黒、鉢開、東陽坊、早船、木守、検校、臨済の七つの茶碗を、楽家十代の旦入(1795-1854)が写した作品「利休七種茶碗」です。角谷一圭の兄である興斎も著名な釜師で、裏千家の職方として活躍。その孫で将来の三代興斎である角谷和彦さんによると、この茶碗はとんでもなく価値のある作品のようで


・・・むむむ、またまた入れませんでした。再度、訪問したいと思います。



しょう4


・・・気を取り直して「東大阪市」にもどってきましたら、


◆タイル壁画「女のいる風景」天正第3ビル577-0801東大阪市小阪1丁目14-1

平成26年4月10日ハウス食品グループ本社(株)から絵画「女のいる風景」が寄贈

このほどハウス食品グループ本社(株)から洋画家・石阪春生さんの絵画「女のいる風景」が東大阪市に寄贈され、浦上博史代表取締役社長に野田市長から感謝状を贈呈しました。寄贈された絵画は、東大阪市に本社を置くハウス食品グループ本社(株)の代目社長である故・浦上郁夫氏が、食品メーカーとしての発祥の地である東大阪の街に文化を提供したいとの想いから、独特の画風で注目を集めていた洋画家の石阪春生さんに依頼したもの。同社はこの絵画をもとに、ビザンチンからタイル職人を招聘して、モザイクガラス約70万個を使った大きな壁画を制作し、1977年12月から近鉄河内小阪駅近隣の天正第3ビルの壁面に掲示されています。同絵画は、これまで奈良県生駒市にある同社の研修センターに展示されていましたが、今般研修センターが閉鎖されることに伴い、代目社長の思いを受け、小阪地区にある公共施設・東大阪アリーナに設置することになりました。4月10日の除幕式で浦上社長は、「東大阪アリーナへの展示にご配慮いただきありがとうございました。多くの市民の皆さんに楽しんでいただけることが、父(代目社長)の本望です。」と挨拶。野田市長は「代目社長の思いを引き継いでいきます」と喜びの言葉を述べていました。石阪春生さんの絵画「女のいる風景」は、東大阪アリーナでご覧になれます。

石阪春生

1929兵庫県神戸市に生まれる1951関西学院大学卒業小磯良平氏に師事する1958新制作展入選朝日新人展1962新制作展新作家賞受賞1964新制作展新作家賞受賞1966新制作展新制作協会賞受賞1967新制作協会会員推挙1974金山賞受賞1983神戸市文化賞受賞1998兵庫県文化賞受賞2006神戸市立小磯記念美術館にて記念展

【参考】ハウス食品グループ本社

577-0036東大阪市御厨栄町1丁目5番7号06-6788-1231

ハウス食品は1913年創業者・浦上靖介が大阪に薬種化学問屋「浦上商店」を立ち上げて以来、お陰様で2013年に創業100年を迎えました。大正と昭和の変わり目に東大阪にあるカレー工場を引継ぎ食品メーカーに転身し、「日本中の家庭が幸福であり、そこにはいつも温かい家庭の味ハウスがある」という願いを込めて、お客様起点の事業運営を心掛けて参りましたが、ここまで歩みを営んで来られましたのも皆様のご愛顧の賜物と、深く感謝申し上げます。この節目の年に、ハウス食品グループは持株会社体制に移行致しました。次の100年に向けて、今まで私たちを育んで頂いた日本のお客様に対して更にお役に立つ価値を提供できるように力を尽くすと共に、日本外のお客様に対しても新しい価値を創造していくために一層の努力を重ねて参ります。また、持株会社体制への移行と同時にハウス食品グループは「グループ理念」を策定致しました。「食を通じて人とつながり、笑顔ある暮らしを共につくるグッドパートナーをめざします。」私たちハウス食品グループは、おいしさと健康をお届けする食を通じて、人とつながり、人と人をつなげたい。絆やぬくもりを大切にして、すべてのステークホルダーと共に笑顔ある暮らしをつくりたい。新しい100年に於いても、お客さまの笑顔を、社員とその家族の笑顔を、そして笑顔あふれる社会を共につくるグッドパートナーをめざして、歩みを進めて参ります。


しょう5


・・・「大阪商業大学」へは、もう一つ別の目的があったのですが、なんてったって「谷岡記念館」は訪問しておかなくてはなりません。二度目ですが、また新しい発見があるかも。