グリコ(6) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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宮本順三

1935年江崎グリコに入社。面接時に創業者の江崎利一に菓子に玩具のおまけを付けることを提案し採用された。販売促進のためカード等のおまけを商品に付けていた利一は玩具をおまけに付けることを決し、順三はミニ玩具のデザイナーとなった。日本と世界の玩具を参考にして約3000種のデザインを手がけた。日中戦争の激化とともに金属類は供出の対象として回収され、火薬の材料となるセルロイドも使用が禁止された。材料不足の中で廃品・雑木を集めてはおまけの制作を続けた。物資不足が深刻化すると天津に趣き材料調達に奔走する日々を送った。しかし、戦局は激しさを増し、おまけは生産中止に追い込まれてしまい、順三も徴兵されてしまった。太平洋戦争終戦時には順三は江崎グリコを退社し、セルロイド製造を営んだ。1952年に山三化学工業を設立。1960年頃からは画家としていろんな民族の「祭りと踊り」を題材に描き、多くの作品を遺した。創業者江崎利一の遺志もあって、その後も1997年までグリコのおまけを作り続けた。




ずん1


・・・グリコのおまけを生み出す原点がここにありました。


ずん2


・・・奥様がわざわざ私一人のために長時間にわたってお付き合いしてくださり、とても充実した訪問になりました。羽曳野にも工場があったんです、とお聞きした時にはとても驚きました。


ずん3


・・・せっかく東大阪まで来たのだから、久しぶりに「司馬遼太郎記念館」に行ってみることにしました。残念ながら、


ずん4


◆【司馬遼太郎記念館】◆

577-0803東大阪市下小阪3-11-1806-6726-3860

作家・司馬遼太郎氏の自宅と一体となって建てられた記念館。館内には、吹き抜けの高さ11mの壁面に約2万冊の書籍が収納され、展示スペースでは年2回、企画展が開催されている。150余席のホールでは常時映像を上映。講演会、コンサートなども行われている。※司馬遼太郎の「遼」のしんにょうは、正しくは点が2つです。


ずん5

安藤忠雄さんは、「蔵書で囲われて、闇に包み込まれたような、かすかな光の空間のイメージ」(記念館図録より)をもとに、周辺の環境とも調和するようこの記念館を設計されました。2010年春に、新しく加わった庭も安藤さんの設計です。ロビーでは、安藤忠雄さんによる記念館のスケッチや図面を展示しています。建設途中の写真も公開し、記念館建設のプロセスが分かるようになっています。記念館の100分の1スケールの模型を2012年より展示しています。安藤忠雄建築研究所が制作し、寄贈してくださいました。カツラの木やコルク材を使い、とても精巧に作られています。


・・・中に入れないからこそ、じっくりと外周から観察できました。