・・・第33回「群展」無事終了しました。ご来場いただいた皆さん、ありがとうございました。
★道頓堀グリコ看板に綾瀬はるかさん「代走」で登場
改修中の大阪・道頓堀の名物「グリコ看板」を覆う幕に8月25日、おなじみの両手と片足を上げるポーズを取った女優の綾瀬はるかさんがお目見えした。6代目が登場する秋ごろまでの期間限定の「代走」だ。幕は高さ約20メートル、横幅約10メートル。江崎グリコのテレビCMに出演中の綾瀬さんの写真がプリントされている。工事期間中も通行人に楽しんでもらえるようにした。夜は光らない。近くの戎橋には記念撮影する観光客らが集まった。友人と旅行で訪れた会社員は「いつもと違った雰囲気でかわいい。良い思い出になりました」と話した。
・・・搬出の日、淀屋橋をうろうろしました。
◆日本銀行大阪支店
530-8660大阪市北区中之島2-1-45/06-6202-1111
旧館は、明治36年(1903年)に建設されました。日本銀行大阪支店は、堂島川と土佐堀川に挟まれた中之島にあります。この場所には、江戸時代、島原藩や水戸藩の蔵屋敷があり、明治の初めには、今の郵便局である「郵便役所」が大阪で最初に設けられたほか、実業家の五代友厚が別邸を構えました。旧館は、明治建築界の第一人者である辰野金吾博士により設計されました。辰野氏は重要文化財に指定されている日本銀行本店や東京駅の赤レンガ駅舎などを設計したことでも知られています。建物外観のデザインは、ネオ・ルネッサンス様式を主に取り入れています。築後80年を経て、老朽化と地盤沈下が進んだため、旧館は昭和55~57年(1980~82年)にかけて、改築工事を行いました。工事の際には、「歴史的価値のある建物をぜひ残してほしい」という地元の皆様などの熱心な声を踏まえ、可能な限り、元の作りを残す方法で工事を行いました。外観については、御堂筋から見える東・南・北3面の外壁のほか、ドームの両側に三角屋根を組み合わせた屋根を保存しています。内部については、記念室、大階段などを復元・保存しているほか、見学者に支店の業務や歴史を説明するための広報ルームを設けています。
◆淀屋
江戸時代の大坂で繁栄を極めた豪商である。全国の米相場の基準となる米市を設立し、大坂が「天下の台所」と呼ばれる商都へ発展する事に大きく寄与した。米市以外にも様々な事業を手掛け莫大な財産を築くが、その財力が武家社会にも影響する事となった事により、幕府より闕所(財産没収)処分にされた。しかし、闕所処分に先立ち伯耆国久米郡倉吉の地に暖簾分けした店を開き、後の世代に再び元の大坂の地で再興した。幕末になり討幕運動に身を投じ、殆どの財産を自ら朝廷に献上して幕を閉じた。淀屋を創業した岡本家によるものを前期淀屋、闕所後に牧田家により再興されたものを後期淀屋と呼ぶ。淀屋が開拓した中之島には、かつて常安町と常安裏町(現在の中之島四丁目~六丁目)が有った。また現代も中之島に掛かる淀屋橋や常安橋にその名を残している。
◆林市蔵(1867年~1952年)
※生年が明治3年(1870年)の説あり。熊本県出身。内務官僚。大阪府知事として方面委員・民生委員の創設に尽力。
大正7年世界大戦の直後物價奔騰して民衆の苦難甚しく米騒動勃發して世相不安を極めた。時の大阪府知事林市蔵先生偶ここ淀屋橋畔の調髪所において鏡面に映る新聞賣母子の憐むべき姿と家庭の窮状に深く心を打たれこれが社會的対策の極めて緊切なるを痛感し府嘱託小河滋次郎博士の調査研究と愼重考慮の結果府下に方面委員を設置せられた。これ我國における民生委員制度の嚆矢であり爾来急速に發達して全國に普及され社會事業推進の中核をなすに到った。しかも此の間林先生には終始一貫熱誠を傾けて本制度の育成發達に努力せられたが昭和27年2月21日その偉業を遺して逝去せられた。我等府下5千名の民生委員は深く先生の高徳を慕いその功績を讃仰すると共に民生委員事業今後の發展に資すべくここに本制度發祥の地に先生の記念像を建設しこれを不朽に傳えんとする。大阪府知事赤間文三撰並びに書
◆【中之島緑道(淀屋橋から錦橋まで)】◆
水都大阪を象徴する中之島(大阪市北区)に、彫刻群が設置されたビジネス街のオアシスがあります。大阪市制100周年記念事業の一環として、基本構想の1つ「水・緑・光計画」に基づいて、彫刻設置を主要素に整備された遊歩道の中之島緑道です。「水・緑・光」をテーマに彫刻を公募(昭和63年)、234点の中から優秀作品10点を選び、(財)日本宝くじ協会が大阪市に寄贈する形で設置したものです(平成元年)。
◆陽だまりに遊ぶ/藤木康成
1952年滋賀県生まれ、京都在住の二紀会所属の彫刻家。
◆風標/斉藤均
1948年神戸生まれ京都在住、ステンレスを使った幾何学的な彫刻を発表している。
◆くもの椅子/石田眞利
1963年生まれ。多摩美術大学大学院彫刻科卒。
◆一対の座/増田正和
1931年兵庫県生まれ~1992年。1955年、京都市立美術大学西洋画科卒、石を使った巨大な座布団の彫刻で有名。
・・・つづく