・・・松花堂庭園・美術館には様々な茶室があり、多くのお茶会が催されます。
・・・とても格式も敷居も高いので、私がここで一服なんて恐れ多いことです。そこで、
・・・「お抹茶」と「お茶碗」をお土産に買ってきました。素敵な油滴天目茶碗です。
※松花堂オリジナル抹茶『松花堂』
古くから抹茶の里として知られる八幡で茶摘みされた 茶葉を使用。香、味、色にこだわった3種類のてん茶を合組み(ブレンド)した、松花堂庭園・美術館オリジナルの抹茶・銘『松花堂』は、爽やかな香りと柔らか な甘み、くすみのない鮮やかな色合いが特徴です。
★東高野街道
数ある高野街道のうち、いちばん東側に位置する道筋です。八幡(京都府八幡市)を起点として京街道(大坂街道)と別れ、河内国の東部を通り、長野(大阪府河内長野市)で西高野街道と合流し、以南は高野街道として紀見峠、橋本、高野山へ至る。いつ頃に形成されたかは定かでない。既存の集落を経ず、出来るだけ直線になるように通されており、自然発生的に形成された道ではなく、計画に基づいて建設された古代道路であると言われている。淀川水系の河川や、かつて存在した巨大な河内湖(深野池)周辺の湿地帯を避けて生駒山地の麓を通り、河内国府(現在の藤井寺市)付近で大和川を越えると石川の左岸に沿って通った。平安時代には駅が設置され、京と河内国府を結ぶ官道としても重要であったとされる。その後は官道としての重要性は薄れたものの、仏教信仰の一般化に伴い、高野山参りが盛んになると参拝道として賑わうようになった。現在では、府道長尾八幡線、枚方バイパス、府道枚方交野寝屋川線、府道枚方富田林泉佐野線と国道170号(旧道)各道の大半に相当または平行する。
◆善法律寺
614-8085京都府八幡市八幡馬場88-1/075-981-0157
奈良唐招提寺末で、鎌倉時代正嘉年中(1257~59)に石清水八幡宮社務善法寺宮清が奈良東大寺実相上人に帰依し、私宅を寺に改めたものです。室町時代には、善法寺通清の娘紀良子が足利三代将軍義満を生んだことから、将軍家との関係は深い。良子が紅葉の樹を寄進し、今も紅葉が美しいことから「紅葉寺」とも称される。
◆安居橋
安居橋は、大谷川が放生川と名を変える八幡平谷の買屋橋から京阪電車踏切手前の全昌寺橋までの約200メートルの間の中ほどに架かる反り橋をいう。江戸時代の放生川には、今よりも多くの橋が架けられており、川上から「五位橋」「安居橋」「六位橋」「高橋」という順番に架かっていた。安居橋の名の由来は、康正3年(1457)の後に架けられたため、「相五位橋」と呼ばれ、後に変化して「安居橋」になったのではないかと「男山考古録」は記している。また、その当時の安居橋は平坦な橋で、反り橋は約50メートルほど川下にあった高橋であった。近くには男山四十八坊のひとつ、高坊があり、同坊の板敷と高橋の高さが同じだった。高坊は行幸御幸の際の宿坊であったため、天喜2年(1054)、「橋が高いのは恐れ多いことだ」として、高橋の橋脚が3尺切り下げられたという。
殺生を戒める仏教の教えに従い、捕らえた魚や鳥などの生き物を川や野に放って供養する儀式のことを「放生会」と言います。この放生会は、神仏習合で神道にも取り入れられ、宇佐神宮(大分県宇佐市)をはじめとする全国の八幡宮で催されましたが、中でも特に有名なのが、京都府八幡市の石清水八幡宮で行われる、石清水祭(石清水放生会)です。この石清水祭は、京都の葵祭、奈良の春日祭と並び、「日本三大勅祭」のひとつです。石清水八幡宮が鎮座する男山の麓を流れる放生川で、最初の放生会が営まれたのは、平安時代初期の863(貞観5)年のこと。八幡大神を乗せた3基の鳳輦を核とする500人の祭列が、山裾の頓宮に向けて山上の本殿を出発するのが、真夜中の3時。それから終日にわたり、時代絵巻のような高尚典雅な儀式が展開され、石清水祭の原点である放生会の舞台となるのが、放生川とそこに架かる安居橋です。この橋の上で朗々と大祓詞が奏される中、神職によってその場でハトが空に放たれ、橋のたもとでは、コイやウナギなどの魚が放生川に放流されます。
江戸時代初期に架設されたと思われるこの橋は、「安居橋の朧月」として八幡八景のひとつにもなっていますが、安居橋がいつ「反り橋」となったか詳しい経緯は不明ですが、近年はほぼ20年間隔で改修工事が行われ、1975(昭和50)年の改修時には、橋の北側中央に張り出す形で、放生会のための舞台が新たに設けられました。前回の架け替え工事から約20年が経過し、橋が老朽化してきたため、2013年3月から新たに架け替え工事が開始されました。そして2013年7月13日、架け替え工事が完了し通行が再開されました。耐久性の高い素材が用いられて木の香も新たに再生し、木造反り橋の魅力を遺憾なく体現すると同時に、石清水祭の神事におけるその存在の重さを再認識させるとともに、安居橋はまさに、放生川の信仰と歴史と景観にとって、絶対不可欠なシンボルなのです。
・・・そして「石清水八幡宮」まで来ました。