・・・とうとう、東高野街道の「起点」を訪問する機会がやってきました。
京都府南部に位置する八幡市は、淀川・木津川・桂川の三川の合流点です。この地点は背割堤と呼ばれ春になると満開の桜を楽しめます(桜の数は約250本、距離にして1.4㎞)。また、東高野街道の発着点で、多くの歴史上の人物とゆかりのある隠れた名所・旧跡があり、見どころが多くあります。
◆【松花堂庭園・美術館】◆
614-8077京都府八幡市八幡女郎花43番地/075-981-0010
平成14年(2002)4月5日(金)新装オープン。名実共に洛南随一の名園。美術館が開設され、有名料亭『吉兆』が『吉兆・松花堂店』を出店、「懐石」や「松花堂弁当」があります。「松花堂弁当」は、美術館に展示される松花堂昭乗愛用の小物入れの箱から創業者「湯木貞一」氏が発案されたものです。
◆美術館・展示室(地階)
松花堂昭乗が遺した作品、昭乗と交友のあった人たち並びにゆかりの美術品を展示する館蔵品展や企画展、特別展を開催します。
●展示ホール(地階)
松花堂昭乗が交流した人物やその歴史を紹介しています。映像:50インチモニターで昭乗を紹介。
●文化・歴史情報ホール(1階)
八幡市の歴史、文化情報並びに観光情報を発信しています。歴史街道i(アイ)センターとして歴史街道情報も提供しています。
・・・残念ながら、当日は展覧会が開催されていませんでした。
松花堂昭乗は近衛応山公・本阿弥光悦と共に、寛永の三筆と評された書の名人、書画・茶道・作庭などに通じた文人で、石清水八幡宮の学僧でありました。松花堂昭乗は石川丈山・林羅山・小堀遠州・木下長嘯子らと交友があり、小堀遠州の夫人の妹が、昭乗の兄、中沼左京に嫁いでおります。昭乗五十六歳のとき背中の腫れ物が原因で亡くなりましたが、小堀遠州は伏見の自分の屋敷で療養させたとされます。松花堂昭乗の草庵・松花堂を中心に、石清水の泉殿客殿・庭園を併せ、明治二十四年現在の地に移築、現在京都府八幡市の管理下にある洛南の名庭園です。
・・・「お庭」や「植栽」のミュージアムです。
庭園は、約22000平方メートルと広く、内園と外園に分かれていて、内園は昭乗が晩年に隠棲するためたてた草庵「松花堂(茶室)」や書院などの建物を苔庭や枯山水の築山で囲っています。庭石や灯篭など露地庭園としても細かい心遣いがなされていて、昭乗が生きていた時代の庭園の風情が偲ばれます。外園は、小堀遠州が建てた茶室を再現した茶室および宗旦好みの茶室などを持つ茶の庭園としても有名で、珍しい竹40種、茶花として珍重される椿200種を植栽しており、春・夏の深緑、秋の紅葉など四季を通じて雅趣ある景観をごらんいただけます。