ミュージアム | すくらんぶるアートヴィレッジ

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植生観察林

大仙公園整備にともなって周囲の濠に水がはられ、外から隔てられたのをきっかけに古墳内の植物の様子が、1985年から調べられています。古墳には本来植物類は植えられていなかったと考えられていますが、年月が経つに従いさまざまな植物が育ち、また置き換わっていきます。種子が風によって運ばれたり、鳥によって持ち込まれたり・・・その経路はさまざまですが、最初は一年生植物が表面に芽生え、やがてススキのような多年生植物の草原に置き換わっていきます。御廟山古墳のようにまったく人が立ち入らなかった場合、草原の中に育ちの早い広葉樹が芽吹きますが、成長するにつれ日陰が多くなり、それ以上若木が育たなくなり、やがて日陰でも育つクロガネモチやクスなどの常緑樹が群落を形成していきます。常緑樹は日陰でも育つので、群落を形成していきます。逆に、旗塚古墳グワショウ坊古墳のように、昔から人が頻繁に立ち入っていたところは、上記のような自然林の育成が妨げられ、リュウキュウハゼやクヌギなどの落葉樹が多くなります。このような特徴を知って古墳や森林を観察すれば、過去にどのような環境で扱われてきたかが理解でき、より散策が楽しくなります。


・・・「宮内庁」管理については複雑な思いもありますが、環境保全としては結果的に良かったのかなとも思います。


じて1

◆堺の風物詩「風車」

石津川の河口付近から北にかけての海岸部の一帯は砂質の畠が、昔は続いていました。ここは、コマツナ、キクナ、ネギなどの野菜の産地でしたが、なにしろ砂質壌土だけに水ハケが良く、農家にとっては毎日の畠の水ヤリが大変でした。大正時代後期、この重労働の作業に強力な援軍が登場しました。オランダの風車にヒントを得て堺の地場産業、自転車製造の技術を応用して畠にある井戸のポンプを風車で自動灌水する方式が導入されたのです。この堺の風車は昭和22年頃になると350台にも増え、一躍泉州地方の風物詩となりました。この畠地も今では、すっかり住宅や高層マンション群に変わってしまい当時の面影を見ることは出来ません堺市楠町に1基だけ残っていましたが、朽ち果ててしまったようです。また、この風車は堺市の貴重な文化遺産として大泉公園や大仙公園でも危険防止のため羽根を取り外した状態で復元保存されており、豊中市の服部緑地公園内にある日本民家集落博物館に保存展示されています。


・・・「風車」につられ散策して、「自転車ひろば」も発見しました。


じて2


◆長塚古墳

JR阪和線百舌鳥駅のすぐ南西にある、西向きの前方後円墳です。かつて百舌鳥駅前に建てられていた仁徳御陵への道標、もう一つが「長山古墳」と命名された石碑、そしてもう一つが、後に「長塚古墳」の名前で史跡に指定された旨が書かれた石板があります。墳丘は全長約102メートル、後円部径約57メートル、高さ約8.2メートル、前方部幅約67メートル、高さ約8.3メートルの規模で、2段に築成されています。南側のくびれ部には造出しがあります。周濠もありますが、すでに埋没していて墳丘は家並みに囲まれています。円筒埴輪が採集されていますが、主体部の構造や副葬品はわかっていません。


じて3

4月7日に、国道309号から博物館の南側進入口に向かって、西藤井寺線(バイパス)道路が開通しました(国道309号南進の場合のみ左折可)。阪和自動車道側道側には信号が設置されましたので、何卒ご協力のほどよろしくお願い申し上げます。特にお車でお越しの皆様方には、以前の景観とは異なっているため戸惑う方もおられるかもしれません。歩行者等に気を付けて信号を守り博物館へ進入していただきますようによろしくお願い申し上げます。

※また、従来より車のナビでは当館の進入口を正しく示さない場合が多く見受けられます。当館では、ナビの地図を作成している機関に申請するなど対策を取りましたが、未だに大変ご不便をおかけしており、苦情が寄せられます。 当館の進入口は「美原北小南」の交差点よりも西側手前にあります。ご不便をおかけし恐縮ですが「美原北小南」の交差点を左折しないようにご注意くださいますよう何卒よろしくお願い申し上げます。


・・・ということなので、帰り道に立ち寄りました。



じて4


堺市立みはら歴史博物館(M・Cみはら)

587-0002堺市美原区黒山281072-362-2736

堺市立みはら歴史博物館は、『カタチ造りの達人』をグランドコンセプトに、「河内鋳物師」と「黒姫山古墳」を、メインテーマとした常設展示室、およびミニ展・特別展が開催できる特別展示室と、講演会・音楽会・映画会等の催しや、研修会・レセプション等の催しなど、文化・芸術にふれ、交流できるホールとの複合施設です。平成15年3月30日に旧美原町立みはら歴史博物館として開館しました。愛称のM・Cみはらは、Museum(博物館)と、Community(交流)をイメージしたものです。


・・・バス停の案内板の表記は、まだ「美原町」のままです。ウシシ