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・・・堺市FW次の目的地は、


松人権歴史館」展示物製作・移設業務に係る一般競争入札を実施

堺市立人権ふれあいセンター(堺区協和町2丁61-1)の改築工事において、舳松人権歴史館展示物製作・移設業務を担う事業者を選定するため、一般競争入札を実施します。既存の堺市立人権ふれあいセンター7階にある舳松人権歴史館の展示物等を、新堺市立人権ふれあいセンターに移設する。(新設、造形物の一部改修を含む)平成26年6月19日の通知


・・・まだ2階に「舳松歴史資料館」という名称であった頃に行ったきりなので、移設前に見ておきたかったのです。


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・・・そして、7階に上がります。


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◆【舳松人権歴史館】◆

590-0822堺市堺区協和町2丁61-1072-245-2525人権ふれあいセンター

堺市立人権ふれあいセンターは、基本的人権の享有を保障する日本国憲法の理念にのっとり、同和問題をはじめあらゆる人権問題の速やかな解決に資するため、人権教育及び人権啓発並びに市民交流を推進することにより、市民の福祉の向上を図る総合施設として設置されています。


舳松人権歴史館は、2006(平成18)年月、前身の舳松歴史資料館を名称変更し、リニューアルオープンしました。舳松歴史資料館の設立については、1976(昭和51)年以来、部落解放堺地区舳松歴史・文化を守る会をはじめ地元より強い要望がありました。市としても同和対策の進捗によって一定の成果を見ましたが、厳しい部落差別を物語る住居をはじめ資料がなくなってきており、これらの資料を後世に残すことによって、部落差別と闘ってきた人びとの生きざまと差別に対する憤りを知ってもらい、部落差別を完全撤廃したいという主旨から1988(昭和63)年に開館されました。それから18年たった2006(平成18)年月、本館は、堺の被差別部落の歴史を通して、部落問題を自分の問題として学び、「差別をなくそう」「自分は差別をしない」と決意していただくための施設として展示物も一新し、リニューアルオープンしました。展示場内は、阪田三吉記念室と展示室で構成されています。そして、展示室は「くらし」「しごと」「歴史」「特別展示」「啓発」の各コーナーに分かれ、大型グラフィック、音声ガイド、コンピューターによる情報検索などでわかりやすい展示になっています。


同和対策事業が行なわれる前の舳松の劣悪な住環境、盆踊りの「どんでんかっか」や阪田三吉を生んだ「縁台将棋」に見られる独自の文化、共有浴場「布袋湯」の運営など、厳しさの中でもたくましく生き抜いてきた人びとのくらしを紹介しています。また、一九五〇年代の舳松の平均的な民家(四畳半)や「はんらく」とよばれる狭い路地を再現しています。舳松の人びとは、「貧しいくらしを強いられ、十分な教育を受けられず、就職差別を受ける……」。そうした悪循環の中で、限られた不安定なしごとにしか就くことができませんでした。

当時の舳松の主なしごとである、靴なおしや下駄なおし、雪踏の表づくり、牛や豚の解体処理を行なう「と畜業」、屑物行商(現在の廃品回収)を紹介するとともに、「なぜ人々が不安定なしごとにしか就けなかったのか」また、不安定なしごとながら専門的な技術を磨き、社会に貢献してきたことを紹介しています。

「舳松の歴史」では、一六世紀、ポルトガルの宣教師ルイス・フロイスが見た堺の被差別民の記述に始まり、同和対策総合計画の実施、そして現在へと続く長く厳しい差別の歴史を紹介しています。「舳松の部落解放運動」では、共有浴場「布袋湯」の設立から始まった部落解放運動の歴史を紹介しています。また、泉野利喜蔵や部落解放運動を支えた人びとの活動についても紹介しています。



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・・・若いスタッフの方が、移設先の工事の様子を窓から丁寧に説明してくださいました。


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さて、2階にあった場所はどうなっているのか気になって見に行きました。閉鎖されたままで、何にも転用されていませんでした。この建物そのものが無くなってしまいますので、記念に撮影しておきました。


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・・・またまた大仙公園にもどって「都市緑化センター」へ。