・・・大阪城公園まで来て、大阪城を見ないで帰るわけには行きませんので、
◆新鴫野橋(しんしぎのばし)
かつてこの地には鴫野橋と呼ばれた橋があった。初めて架けられた時期は明確ではないが、豊臣氏の大坂城築城の後には、城と鴫野村の間にあったと推定される。徳川時代にはこの付近に京橋口御定番下屋敷や、その他の幕府の施設がおかれ「公儀橋十二ヶ所」の一つと定められた。また近くには弁財天の祠もあり、梅の花ざかりの頃は多くの人々で賑わったと言われている。明治時代になって、この辺りは、大阪砲兵工廠の敷地となり、橋も軍の施設となったが太平洋戦争後に大阪市へ引き継がれ、この間に新鴫野橋と改称された。廃墟と化した大阪砲兵工廠跡も、大阪城公園と大阪ビジネスパークという新しい街として生まれ変わった。昭和61年より、大阪府の河川改修事業の一環として、歴史と環境に調和した新しい橋の工事が始められた。その竣工に際し由緒あるこの橋の由来をここに示すものである。
◆親水性乏しい排水河川
OBP(大阪ビジネスパーク)を挟むように流れる川は寝屋川と第二寝屋川といいます。淀川と大和川に挟まれた大阪平野にたまった水を効率よく海に流すための排水河川に位置づけられているため、親水性に配慮された河川整備が行われにくいという問題がありました。このような特徴を持つ寝屋川と第二寝屋川で唯一近づけるスポットが親水テラスです。この施設は1980年代にOBPが誕生した際に合わせて設けられたもので、川を間近に見ながら散歩などを楽しむことができます。水質があまりいいと言えないせいか大川に比べて人通りは少ないですが、将来的には大川と並ぶビジネス街のオアシスに進化してもらいたいと思います。
・・・ここに立つと、なんか感動です。
・・・小さなミュージアムだからこそ、訪問しました。
◆【コヤノ美術館】◆
534-0024大阪市都島区東野田町1-19-7/06-6358-7555
㈱コヤノの経営者である小谷野達雄が長年に渡って蒐集してきた日本の古美術・古民具・工芸品等を、毎年テーマを変えて展示。庶民の暮らしにこだわった所蔵品の数々は、どれも愛用していた人々の生活の匂いがする物ばかりです。過去の展示として「浮世絵展」、「弁当箱と酒器展」、「映画ポスター展」、「喫煙具展」、「鏡台と化粧品展」などがあります。
●平成26年度「はきもの展」平成26年2月3日~平成26年12月20日
地面がアスファルトに覆われてから、一気に姿を消していった下駄。最近若者を中心に、再び履かれるようになってきているみたいですが…。何かと不安定なこのご時世、足元をしっかり固めようという気持ちを込めて、今年は「はきもの展」を開催しております。雪駄や下駄を中心に、ジャイアント馬場の靴や国士舘の学生が履いていた鉄下駄、大正天皇の履いた足袋まで、様々取り揃えております。当時の日本人の足元を彩ったはきものから、時代の流行や履物の意味合いなどが見えてくるような気がします。
※(株)コヤノ
昭和38年、豊中市において創業以来、私共は常に未来を目指し一歩一歩研究開発を積み重ねて参りました。そして、長年の努力の結果、遂に昭和59 年、画期的なフッ素系樹脂洗浄表面保護剤である「コヤフロン」の開発に成功。製造・販売に全力を尽くして参りました。あらゆるものにコーティングでき、美しさと耐久性を格段に高め、その後の手入れの簡略化等に多大な成果を上げる「コヤフロン」は、まさに新時代のコーティング剤であると自負している次第です。
・・・帰り道、信号待ちしていたらふと気がついたので、
◆楠正長旧跡
544-0015生野区巽南四丁目2-125 新巽中学校 東北角
正長は、楠木正成なきあとを継いだ正儀(正成の三男、正行の弟)の子(従って正成の孫にあたる)として生まれた。当地に住み、応永19年(1412)得度し法名に因んで定願寺を建立、一族の菩提を弔った。当寺には正長の木像が残されている。応仁2年(1468)没、97歳。
・・・途中、雨が降ってきたりしてたいへんでしたが、最高に充実した大阪FWでした。さて、大阪市内で重要なミュージアムにまだ行ってません。次は、とうとう、そこへ行くことになります。