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・・・「ピースおおさか」のつづきです。


ぴす1


設計:シーラカンス竣工:1991年

ピースおおさかは、公開建築設計コンペにより若き建築家集団シーラカンス勝ち抜いて完成した作品です。多様な形の屋根が、相互理解によって世界平和がなされるというコンセプト。シーラカンスという設計事務所は東京大学大学院の原広司研究室で共に学んでいた6人のパートナーが集うところから誕生しました。シーラカンスの建築家・小嶋一浩はキューブを用いた3次元設計「スペースブロック」という新たな概念を確立しました。空間に対しても「黒と白」という独特の考えを持ち、動線やLDK、水周りなどの動かせない部分を「黒」、使われ方により呼び方の変わるフレキシブルな空間を「白」と位置づけ、通常7~8割を占める「黒」部分を半分程度に抑える作品が面白い。シーラカンスを共同設立した伊藤恭行や宇野享、赤松佳珠子らとともに最近では海外での作品も手がけ、活躍の場を広げています。


ぴす2


ピースおおさか収蔵品展Ⅷ2014年4月29日(火)~8月31日(日)

ピースおおさかは2011(平成23)年9月17日に開館20周年を迎えました。前身である「大阪府平和祈念戦争資料室」の10年を含め、30年の間に府民・市民より寄贈された数多くの資料を収蔵しています。みなさまから託された収蔵品のひとつひとつは、単なるモノではなく、人々の心に訴える力を持っています。それらの収蔵品は、いわば“物言わぬ語り部”。しかし黙っていても、それぞれに刻まれた歴史の力は人々の心に響きます。今回の収蔵品展でも前回に引き続き、昭和初期の激動の時代から大戦末期の空襲に至るまでの“モノ語り”について展示し、戦争と平和の意味について考えます。


ぴす3


・・・あらためて「写真」の力を感じました。


ぴす4


・・・ここ大阪城公園そのものが深く戦争とかかわっている場所でもあり、少し散歩してみることにしました。


ぴす5


◆旧杉山町

大阪城の東側は旧地名を「大阪市東区杉山町」といい、帝国陸軍の兵器工場は東洋最大の規模だったのだそうです。終戦の前日。昭和20年8月14日の空襲で、陸軍大阪砲兵工廠は焼け野原となり、廃墟は賠償指定物件とされて占領軍の接収を受け、焼け残った武器機械資材が回収されました。占領軍によって根こそぎ回収されたものの、廃墟にはなお膨大な金属資材、レール、起重機、鉄骨、パイプなどのスクラップが残り、昭和27年に接収解除となると、これを目当てに屑鉄泥棒(通称「アパッチ族」)が跳梁跋扈。スクラップとはいえ国有財産ですから、屑鉄泥棒検挙のために大阪府警が動員され、双方やったやられた抜いた抜かれたのいたちごっこ。36万坪有余の廃墟、通称「杉山鉱山」でのアパッチ族と官憲の丁丁発止は、やがて3冊の小説となって、後世に伝えられました。

昭和39年(1964)4月、大阪市は緑化百年宣言を行いました。全市民あげて緑化への関心を高め、公園、緑地、街路樹などの緑をもっと増やし、緑の大阪を実現しようという計画でした。その記念公園とも言うべき大阪城公園では、昭和42年に市民参加の森林公園計画が立てられ、昭和44年度までに太陽の広場、記念樹の森、市民の森が誕生しました。大阪城公園杉山地区に万国博覧会までに市民の森を作る計画ができていました。