・・・「枚方市駅」を越えると、まもなく「枚方宿」の東端です。
◆旧枚方宿問屋役人・小野平右衛門家/屋号・八幡屋
東海道枚方宿岡新町村の小野家は、江戸中期より村年寄と問屋役人を兼ね、村と宿駅の運営に影響力を行使した。当家には、正徳六年(1716)建築の古図と鬼瓦を存するが、現在の建物は幕末期と推定される。本建物は、街道に面した広い間口で、表門口には揚見世と下げ戸が現存し、曾て醤油業を兼ねていた町屋の遺構を残している。尚、近年の主屋改修において、明治一八年六月の淀川洪水による軒先浸水時の鮒がミイラとなって屋根裏から発見された。
◆東見附
東見附は天野川に接する枚方宿の東端で、道の両側に柵で囲われた松が植えられていました。「河内名所図会」(享和元年-1801)には、淀、伏見方向に向かう大名行列が天野川の橋に差しかかり、見送りに出た宿役人が東見附で待ち受ける光景が描かれています。元文2年(1737)の「岡新町村明細帳」によると、天野川には長さ17間、幅3間1尺の板橋が架かっていて、岡・岡新町両村が共同管理していましたが、修繕・架替の費用は幕府が負担していました。紀伊徳川家は、参勤交代の際枚方宿に宿泊しましたが、天野川渡河にあたっては、既設橋の上流に専用の仮橋を架けさせました。
◆鵲橋
昭和7年に架橋された橋の一部がモニュメントとして残されています。昔は鵲橋はなく、川の手前に一里塚があり、土橋?を渡って枚方宿東見付に入ったようです。天野川は「天の川」で七夕伝説に由来するそうです。鵲は織姫と彦星の橋渡しをした鳥です。渡り賃を取ったことがあり、情緒なき「銭取り橋」の異名を取ったということです。
・・・「枚方市駅」にもどり、帰路についたわけですが、どうしても移築・公開されているという「旧田中家鋳物民俗資料館」に行きたくて、後日またまた枚方市へ。
◆長尾山「正俊寺」
573-0107枚方市長尾宮前2-2-1/072-858-8222
久貝因幡守正俊を弔い、息子である正世が建立した久貝家菩提寺。父の名より長尾山正俊寺と命名された、曹洞宗の寺院。鎌倉時代に作られた高さ4.3mの花崗岩製の十三重塔が本堂左手にあり、大阪府有形文化財に指定されている。境内には羅漢さんの像があり、そばには約1万5000枝のあじさいが植えられている。あじさいは、例年6月上旬から7月上旬にかけて見頃となる。
・・・JR学研都市線「長尾駅」近くのユニークなお寺に立ち寄りました。アジサイは、まだまだこれからですね。
裏参道の手前に観音堂があり、正俊寺の守護神『長尾不動明王』が祀られています。また裏山門までの上り坂には、かわいい石造がたくさん並んでいました。