ミュージアム | すくらんぶるアートヴィレッジ

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・・・「正俊寺」と道をはさんで前に鎮座するのが、



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◆長尾「菅原神社」

573-0107枚方市長尾宮前1丁目12-1072-859-7708

元和元年(1615年)大坂落城の後、徳川家康の命により、その旗本の久貝因幡守正俊公が河州交野郡(四条畷・寝屋川の東部地域)を采地された。その頃長尾の丘陵地は荒野で河内、山城の国境で交通の要所であり、古来から戦略上の要地であったため、ここに陣屋を営まんとした。陣屋を建てるには村おこしが必要と久貝氏の家来であった細谷善兵衛氏は戸数13戸の村民や近隣村民を集め、彼らと共に長尾の荒野山林を開拓し新田や畑を造った。開墾地は良い土壌で穀物の増収があり、この丘陵は「福をもたらす岡」とのことから「福岡村」と名付けたとのことである。その後も開拓を奨励したため、近隣村落からの移入者も次第に多くなり、慶安三年(1650年)には戸数 33戸に増加した。「鎮守をたてて村の団結を図るが良かろう」と京都長岡天神の分霊を受け、質素な氏神をこの地に建てたのが「菅原天神」の始まりであった。よって菅原道真公を祭祀する。


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その後年には陣屋も建ち、開梱地、戸数は増加の一途をたどる。やがて摂社として「峠天満宮」や「高野道天満宮」また、「水神宮」「高倉稲荷大神」「皇大神宮」が順次造営された。当初の氏神天神は藁葺き屋根の粗末なものであったためか、この間1739年には氏神再建、1755年拝殿再建との記録もあり、その都度、村民、氏子の力によって修復や補修を繰り返してきた。近年になり神殿、拝殿、社務所建物は老朽化が著しく進み、改築や修繕が困難となってきた。平成3年の年頭から神社再建の機運が高まり、氏子崇敬者の皆様の支援・協力により、現在のお社の造営事業が同年から始まり、平成6年3月27日に竣工した。


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◆【旧田中家鋳物民俗資料館】◆

573-0155枚方市藤阪天神町5番1号072-858-4665

田中家は、枚方上之町で鍋や釜といった日用品、犂先などの農具、寺院の梵鐘などの鋳造を行い、北河内地域を独占的な営業圏としてきた、真継家配下の鋳物師です。同家は長きにわたって鋳物業を営んでいましたが、昭和40年(1965)頃には廃業し、鋳物工場と、隣接する住宅(主屋)を枚方市に寄付しました。これらは、江戸時代中期に建築されたと考えられており、江戸時代の鋳物工場の姿を現在に残す、国内でただ一つの建物です。枚方市は、両棟を王仁公園の一角である現在地に移築・復元し、昭和59年(1984)に「枚方市立旧田中家鋳物俗資料館」として開館しました。工場内には鋳造の歴史や製作の道具類と田中家の歴史を、住宅内には枚方の伝統的な生活用具を展示しています。また、敷地内には枚方市内で発掘された弥生時代の竪穴住居跡、復元竪穴住居もあわせて展示しています。


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・・・待望の「旧田中家」、予想以上に素晴らしい。


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・・・さらに「赤丸ポスト」もあったりして、大満足です。