ミュージアム外伝 | すくらんぶるアートヴィレッジ

すくらんぶるアートヴィレッジ

●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●

・・・追悼「國府理」さん、


こく1


2013年6月22日

國府理「未来のいえ」展/西宮市大谷記念美術館

文明信じつつも疑って「機械」で問う、3.11後どう生きる

カタカタカタカタ……。水中につるされたエンジンが、小刻みに振動する。水槽の上部には、ガソリンの入った燃料タンクが設置されている。ガソリンを燃焼させて動力を生み出すエンジン。しかし、ここで動力は意味をなさない。「車のガソリンエンジンは、熱エネルギーの30%程度しか動力として使えない。原発の熱効率も同じくらいとされ、残りは無駄になる」。現代美術家、國府理は言う。


こく2

1970年京都府生まれ。少年時代、スーパーカーブームが起きた。「友達と車の絵を描いて遊んだり、家族でどこかへ出かけたり。車は自分と他者をつなぐもので、作品づくりもその延長」。車や自転車、バイクなど乗り物をモチーフにした大型の立体作品を手掛けてきた。「プロペラ自転車」など遊び心あふれる90年代の初期作品から新作まで12点を集めた國府の個展「國府理 未来のいえ」が、兵庫県西宮市大谷記念美術館で開かれ2012年発表した「水中エンジン」本展のために「最近まで自分で乗っていた」軽トラックのエンジンを使い再制作した。「東日本大震災以降、原発という重大な問題に対し、自分なりの考えを示したかった」。その一つとして、エネルギーの無駄な使い方に着目。水中のエンジンは、プールで冷却される核燃料を想起させる。熱を無駄にまき散らす金属の塊は、「3・11以降の社会をどう生きるか」という問いを見る側に突きつける。


こく3


最新作「未来のいえ」にも、震災以降の社会が浮かび上がる。電動モーター式の高所作業車を利用し、上下に伸縮する蛇腹の支柱の上に、透明のアクリル板で温室ハウスを作り出した。中には、水草の浮かんだ池と群生するシダ。池の水はポンプでシャワーの雨となり、内部を循環する。家は本来、その場にとどまり生活するための空間。この未来の家は、住みやすい場所を求めて移動し続けるのか、何かから逃れようとしているのか。自らの手で住めない環境を作り出してしまった人間への、皮肉な面がのぞく。いずれの作品も、「機械」は本来の文脈から切り離され、価値が転倒される。「虹の高地」(2008年/13年再制作)では、実際に車をひっくり返して裏側にコケを張り巡らせ、谷や山のような風景を出現させた。排ガスで環境を汚染する車は、命をはぐくむ土壌になっている。「車を使った美術家」と呼ばれることの多い國府だが、「誰にとってもあこがれの対象だった車は、過去のものになりつつある」。車以外の機械を使った表現も模索しているという。


こく4


2014年4月29日

國府理さん個展会場で死亡青森・CO中毒か

青森公立大(青森市合子沢)は4月29日、大学施設「国際芸術センター青森」で機械と自然が共存する芸術作品を通し、人間の存在を客観的に見詰める美術展「相対温室」を開いていた現代美術家、國府理さん(44)=京都市西京区=が、会場で倒れているのが見つかり、死亡が確認されたと発表した。自分の芸術作品内で倒れているのを同センターの女性職員が見つけ、119番通報した。市内の病院に救急搬送されたが、死亡が確認された。青森消防本部などによると、軽自動車を透明なアクリル板で密閉した作品の中で倒れていた。発見時、自動車のエンジンがかかっていたという。


こく5

青森県警青森署は一酸化炭素(CO)中毒などの可能性が高いとみて調べている。大学事務局によると、作品は車1台が入る大きさで、縦2・3メートル、横4・5メートル、高さ2・7メートル。箱内には軽乗用車1台があり、一定の間隔でエンジンがかかる仕組みだった。国府さんはエンジンの点検を1人でしていたという。外側からのスイッチ操作でエンジンをかけると、雨に見立てた水が内部にまかれる仕掛けだった。國府さんは京都府生まれで、自動車の車体やエンジンを使った立体的な作品を手掛ける若手芸術家。作品展「相対温室」を青森公立大で26日から開催中だった。関係者によると、完成していない作品があり、國府さんは現地で制作を続けていたという。国府さん計5点の作品を展示した。「虹の高地」は、乗用車(全長約4メートル、高さ約1.5メートル)を裏返し、むき出しになった骨組みに土を敷き詰めて植物を植えた作品。車体部分を人間社会、土の部分を自然に見立て、人間の目の届かないところにも自然はあり、人間は絶対的ではないことを表現したという。車輪とエンジンが付き、上下昇降ができる家「未来のいえ」(高さ約3メートル)も並ぶ。国府さんは「作品は人間社会の縮図。作品が観客にとって、自分たちの生きている世界を外から眺めるきっかけになればいい」と話してい


・・・人間は絶対的ではないことを表現した・・・自分たちの生きている世界を外から眺めるきっかけになればいい・・・合掌。