ミュージアム | すくらんぶるアートヴィレッジ

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・・・尼崎市で大切なミュージアムが抜けていました。


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尼崎市総合文化センター

660-0881兵庫県尼崎市昭和通2丁目7-1606-6487-0800

美術・音楽・演劇等芸術文化の拠点となる施設として、1982年にグランドオープンした。建物は、美術館や文化教室の役割をもつ文化棟(1975年開館)と、音楽・演劇公演の会場となるホール棟(1982年開館)で構成される。声楽家集団関西二期会の活動拠点である。メインホールのあましんアルカイックホール(旧称:尼崎市総合文化センター大ホール)は、2030名収容の音楽コンサートを主用途とする。音響家が選ぶ優良ホール100選に選ばれているほか、オーストラリアのシドニー・オペラハウスと友好ホール提携を結んでいる。1982年7月10日に朝比奈隆指揮の大阪フィルハーモニー交響楽団が「交響曲第5番(チャイコフスキー)」でこけら落し公演を開催した。


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◆【尼崎市総合文化センター(5階・4階)美術ホール」】◆06-6487-0806

第14回上野彦馬賞 九州産業大学フォトコンテスト受賞作品展

【併設展】オランダ・ライデン大学所蔵『W.A.コックアルバム』より「職業写真師上野彦馬の誕生」【特別企画展】みさおとふくまる 伊原美代子写真展

2014年5月10日(土)~6月1日(日)

2000年、若手写真家の発掘と育成を目的として「上野彦馬賞 -九州産業大学フォトコンテスト-」が創設されました。
幕末から明治にかけて活躍した写真師の名を冠した同コンテストは、35歳以下の一般部門と高校生・中学生部門を併設しているのが特徴で、第14回目を迎えた今回は、一般部門213点、高校生・中学生部門2,403点、ファミリー部門118点、総計2,734点にものぼる応募作品が集まりました。本展では、その中から入賞・入選・佳作の作品全104点をご紹介します。現代社会をグローバルな視点でとらえた一般部門の作品から、ストレートなまなざしで心和らぐ高校生・中学生部門の作品まで、さまざまな表現力をお楽しみください。

今回の古写真展は、「職業写真師 上野彦馬の誕生」をテーマとし、彦馬の幕末写真に焦点を当てています。オランダ海軍の士官ウィレム・アーノルダス・コック(1845-1916)が集めた写真を納めた『W.A.コックアルバム』(オランダ・ライデン大学所蔵)の中から、150年前の上野撮影局開業直後の写真を含む収載写真50点を展示します。デジタルカメラはもちろん、フィルムカメラさえも存在しなかった時代の貴重な写真の数々をお楽しみください。

伊原美代子は、千葉を拠点に南房総半島の海女を取材し続ける写真家です。伊原が、身近な存在である、みさおおばあちゃんと猫のふくまるの日常を写し取ったドキュメンタリーは、写真ファンのみならず幅広い層から支持されています。本展では、〈みさおとふくまる〉シリーズから作品約50点を選んで公開します。みさおおばあちゃんと猫のふくまるの静かな暮らしぶりに、心が和む写真展です。


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◆【尼崎市総合文化センター(4階)「白髪一雄記念室」】◆06-6487-0806

白髪一雄記念室は、独自の描画法により世界的な評価を得た尼崎市出身の画家、白髪一雄の功績を称え、その画業を広く紹介することを目的として、市の文化発信の中核施設である尼崎市総合文化センター内に2013年11月1日に開設されました。収蔵する作品・資料は、尼崎市が所蔵する白髪一雄の作品(絵画・版画など)約90点に加え、白髪氏の没後にご遺族から寄贈、寄託いただいた多数の作品・資料(デッサン、スケッチブック、書籍、写真など)約4,000点を中心としており、これらの整理・調査を行いながら順次公開します。

白髪一雄1924(大正13)年、尼崎市西本町で呉服商「木市呉服店」の長男として生まれる。幼少時より絵を描くことが好きで、父親が趣味で描いていた洋画に関心を持つようになる。尼崎市立第三小学校(現:明城小学校)に入学。その後、新設された市立竹谷小学校に編入して卒業。兵庫県立尼崎中学校(現:県立尼崎高等学校)の在学時に絵画部に入ったことが画家を目指すきかっけとなり、京都市立絵画専門学校(現:京都市立芸術大学)に進学して日本画を学んだ。京都市立美術専門学校(1945年改称)を卒業後、洋画に転向して風景や人物画を描き始めたが、既存の絵画に飽き足らず、天井から吊るしたロープにつかまり、床に広げたキャンバスの上に絵具を置いて縦横無尽に足で描くフット・ペインティングという独自の方法を編み出し、国際的に高い評価を得た。画家・吉原治良をリーダーとする前衛芸術グループ「具体美術協会」では結成翌年の1955(昭和30)年に会員となり解散する72(昭和47)年まで中心的なメンバーのひとりとして活躍した。身体を使って描いた迫力ある作品の数々は、国内外の美術館に収蔵され今なお多くの人々に感動を与えている。生まれ育った尼崎をこよなく愛し、芸術文化の発展に力を尽くした。尼崎市民芸術賞、兵庫県文化賞、文部大臣文化功労者表彰など受賞多数。2008(平成20)年、尼崎市にて逝去。

白髪一雄記念室 第2回展示「白髪一雄と具体I(初期~中期)」2014年4月5日~7月13日

具体美術協会(以下、「具体」)は、芦屋在住の洋画家・吉原治良をリーダーとして1954年に結成された、戦後日本を代表する前衛美術グループのひとつです。若い会員たちは、リーダー吉原の「人のまねをするな」「これまでになかったものを創れ」という指導のもと、既成概念を取り払い、競い合うように新たな表現に挑戦しました。それらは当時、日本国内ではほとんど評価されませんでしたが、今日ではインスタレーションや環境芸術、ライトアート、パフォーマンス・アートの先駆けとして、国際的にも評価を受けています。「具体」は1972年に吉原の死去にともない解散するまで18年間活動しました。今日、その活動は内容の変化に即して、期間を大きく3期に分けることが定着しています。

初期1954-57年 結成からミシェル・タピエとの出会いまで

中期1957-65年 「具体」から“GUTAI”へ、絵画表現を中心とした活動へ

後期1965-72年 新しい抽象、テクノロジーを取り入れた表現、そして万博へ

今回の展示では、「具体」が既存のジャンルを超えた実験的な作品を多数生み出した初期から、フランスの美術批評家ミシェル・タピエとの出会いを通じて絵画中心の前衛グループへと展開してゆく中期までを、白髪の作品と関連資料をもとに紹介します。白髪は「具体」結成翌年の1955年に入会すると、早速、中心的なメンバーのひとりとして活躍します。白髪は55年に開催された「真夏の太陽にいどむモダンアート野外実験展」で《どうぞお入りください(赤い丸太)》、「第1回具体美術展」で《泥にいどむ》を発表するなど、初期「具体」の活動を語る上で、また、白髪自身にとっても重要な作品をこの時期に発表しています。その後、白髪は「具体」中期において、足で描くアクション・ペインターとしての描法を確立しました。その作品は「具体」の活動に関心を持って57年に来日したミシェル・タピエに高い評価を受けます。白髪はタピエの依頼によりパリの画廊で個展を開催する機会に恵まれると同時に、「具体」を代表する作家のひとりとして海外の展覧会への出品も増え、国際的に活躍し始めることとなります。今回の展示では、旺盛な活動を繰り広げた「具体」初期から中期の11年間に白髪が制作した作品を、いくつかのポイントに絞って構成します。また同時に、「具体」というグループに属しながらも、独自の感性で表現を探求しつづけた白髪の創作活動の一端をご紹介します。


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◆【尼崎市総合文化センター(7階)「地域研究史料館」】◆06-6482-5246


尼崎市立地域研究史料館は、古文書・近現代文書類、歴史的公文書、図書、地図や写真、絵はがき、ビラ・チラシなど、尼崎地域の歴史に関する文書・記録・史料類を幅広く集めて保存し、皆さんの利用に供する尼崎市の文書館施設です。全国の地域史誌、歴史関係の紀要・雑誌などを集めて閲覧していただく、地域史文献センターとしての役割も持っています。


・・・7階まで上がったのですが、休館でした。しかし、階段室にたくさん白髪さんの作品が展示されていましたので、ラッキーでした。


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・・・尼崎市から西宮市へ、まずは「大谷記念美術館」です。