ミュージアム | すくらんぶるアートヴィレッジ

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※「立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花

芍薬も牡丹も共に美しい花で、百合は清楚な花であることから、美人の姿や振る舞いを花に見立てて形容することば。芍薬はすらりと伸びた茎の先端に華麗な花を咲かせ、牡丹は枝分かれした横向きの枝に花をつける。百合は風を受けて揺れるさまが美しい。これらのことから、芍薬は立った見るのが一番美しく、牡丹は座って見るのが一番美しく、百合は歩きながら見るのが一番美しいという説がある。また、芍薬はまるで美しい女性が立っている姿のよう、牡丹は美しい女性が座っているよう、百合は美しい女性が歩く姿のようだなど、諸説ある。単に「立てば芍薬座れば牡丹」とも、「立てば芍薬居(とと)すりゃ牡丹歩く姿は百合の花」ともいう。


ぼた1


礼堂(外陣)国宝礼堂の南は外舞台で、そのうち五間に三間をさらに前方へ突き出し、高い擬宝珠高欄をめぐらしています。現在の本堂は慶安三年(1650)三代将軍徳川家光公の寄進によって再建されたもので、平成16年には国宝に指定されています。

本尊十一面観世音菩薩立像

長谷寺のご本尊さまは、右手に錫杖、左手に水瓶を持って方形の大盤石という台座に立つ、いわゆる長谷寺式十一面観世音菩薩です。開山徳道上人が造立して以来、度重なる火災により再造を繰り返してきました。現在の御尊像は、室町時代の天文七年(1538)に大仏師運宗らによって造立されました。像高三丈三尺六寸(1018.0cm)。我が国で最も大きな木造の仏さまで、その堂々としたお姿には全国に広がる長谷信仰の根本仏像としての威厳を十分に伺わせます。


ぼた2


五重塔昭和29年、戦後日本に初めて建てられた五重塔で、昭和の名塔と呼ばれております。純和様式の整った形の塔で、塔身の丹色と相輪の金色、軽快な檜皮葺屋根の褐色は、背景とよく調和し、光彩を放っています。

ぼた3


※「シャクヤクは草、ボタンは木」

ともにボタン科ボタン属の植物ですが、ボタンは低木(木本植物)、シャクヤクは草(草本植物)になります。ボタンは「木」の姿で越冬し、シャクヤクは冬には地上部は枯れ根が生きているだけです。樹木一般に行われる「剪定」という作業もボタン栽培ではありますが、シャクヤクではありません。つぎに、葉の違いです。ボタンの小葉は、シャクヤクに比べて比較的「広い」葉になっています。



ぼた4


・・・天気も良く、「ぼたん」を満喫しました。


ぼた5


・・・帰り道、


池利三輪素麺茶屋千寿亭


633-0072奈良県桜井市芝2930744-45-0626


冬に乾燥して冷たい風が吹く、素麺作りに適した気候の三輪。嘉永3年(1850年)創業という三輪素麺の製造、販売を手掛ける老舗「池利」の先代社長が、三輪を訪れた人に三輪の名物であるおいしい素麺を食べてもらいたいと開店したのが、この三輪素麺専門店。昭和55年(1980)の開店当初から、通常の素麺のほかに、変わり素麺なども提案し、素麺の新しい可能性を探る取り組みを行っている。


三輪素麺、それは日本最古の歴史書とされる古事記の中の緒環伝承からはじまります。その昔、三輪の神様と活玉依姫は深い恋におちました。しかし二人は悲しい別れをしなければなりませんでした。姫はあまりの悲しさにおだまきの糸の先に針を付け神様の裾にこれを縫いつけて帰るところを知ろうとこれをたぐり寄せたのです。そのとき姫の手元に残った糸が三勾(三巻き)であったのでこの地を美和(三輪)と呼ぶようになったと伝えられています。そして奈良時代、この活玉依姫の子孫である孫従五位上大神朝臣狭井久佐の次男穀主が、大和地方に飢饉が発生した時、保存食としてこの地の小麦を粉にして挽き、棒状にねりこれを乾燥させて今の素麺の形状に似たものを造ったといわれています。古くから三輪山及びその周辺より流下する水を利用して車を開き小麦を挽いていたと考えられています。そんな三輪に素麺づくりが定着したのは三輪山の山中から湧き出る良質な水に恵まれていることと、この地に非常に質の高い小麦がとれ、また冬には湿度が低く寒風が吹き下ろすという気象条件も素麺づくりに最も適していたとされます。大神神社が三輪の人々の心に永遠に宿り続けるようにその風土に誕生した三輪素麺もまた伝統と共にこの里に永く受け継がれているのです。


・・・これから「そうめん」がおいしい季節ですよね。