●上淡路街道(粉河加太線)
淡路街道とも淡島街道ともいわれる県道7号粉河加太線は、和歌山県の北部和泉山脈と紀ノ川の間を東西に走っている。古くは、四国から淡路島を経て加太に上陸し、紀伊国を通って大和を往来する五畿七道の一つ南海道が、この辺りを通っていたものと思われる。
◆紀伊国分寺跡歴史公園/紀の川市東国分682-6
紀伊国分寺は正式名称、八光山醫王院国分寺という国指定史跡です。
宗派は新義真言宗、天平13年(741年)、聖武天皇の国分寺建立の詔により造営が開始され、天平勝宝8年(756年)に主要伽藍が完成した。元慶3年(879年)2月22日に火災で伽藍が全焼し、金堂と僧坊が再建されたが、その他は再建されなかった。その後、天正13年(1585年)の紀州征伐で根来寺とともに焼き討ちされ、伽藍を再び焼失したが、元禄年間に本堂が再建された。中門を入って右側に塔、正面に金堂、金堂の左右斜め後方に鐘楼・経蔵を配し、金堂の背後に位置する講堂に取り付く回廊で囲まれる。南海道に含まれる讃岐国分寺とほぼ同様の伽藍配置である。寺域・伽藍配置が明確で、南海道諸国との類似性がみられる貴重な国分寺遺跡である。周辺は整備されて、史跡紀伊国分寺跡歴史公園となり、歴史民俗資料館で出土遺物が見学できる。
◆【紀の川市歴史民俗資料館】◆
649-6405紀の川市東国分671番地/0736-77-0090
「史跡紀伊国分寺歴史公園」に隣接しています。紀の川市の古代からの歴史を、さまざまな遺跡や歴史上の人物の紹介を通して学ぶことができます。高野山中興の祖・明算(めいさん)上人は、打田町竹房の生まれです。根来寺開祖・覚鑁(かくばん)上人、また西行法師などもこの地にゆかりのある人物です。昔の農具の展示などもあります。特に注目に値するのは、「紀伊国分寺」の精密な1/100模型と発掘調査のビデオが上映されています。
・・・ここで「谷川瓦」を発見しました。
・・・見所について、親切にいろいろと教えてくださいましたので、
・・・「日吉神社」へ。