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・・・現在の西琳寺「手水鉢」を紹介しておきましょう。


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寺名は彫り込まれていませんが、風格のある手水鉢が使用されています。


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・・・手水鉢で忘れられないのが、


通法寺跡羽曳野市通法寺

石川の東方に広がる羽曳野市壺井は河内源氏発祥の地として知られています。河内国司であった源頼信が小堂を建て『通法寺興廃記』には長久4年(1043)源頼義が仁海谷で千手観音像をみつけ、館の南に精舎を建立し通法寺と号したのがはじまりと伝えられています。その後永徳年間(1381から84)には堂が雨露のため朽ち、かなり興廃したようです。江戸時代になって源氏の子孫・多田義直が5代将軍綱吉に願い出て元禄13年(1700)柳沢吉保らが普請奉行となり諸堂宇を再建しました。しかし再建された通法寺も廃仏毀釈により明治6年(1873)になって、門、鐘楼(しょうろう)以外は取り壊されました。なお、ここには源頼義の墓があり、東方約200mの丘陵地には父・頼信と子・義家の墓もあります。1957年(昭和32年)に、河内源氏の形成発展する様相を示すものとして、三代の墓を含め、文化財保護法に基づき「通法寺跡」として史跡と指定されました。


・・・ほとんど寺らしきものが残っていない原っぱに、ポツンと手水鉢が置かれていたのが印象的でした。


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・・・「畑田家住宅」を紹介して、「吉村家住宅」を紹介しないわけにはいきません。まして、私の高校時代の恩師(美術)の家でもあるのですから。


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・・・高校時代は、その価値もわからずに、家中を走り回っていました。


「吉村家住宅(吉村邸)」

583-0881羽曳野市島泉5-3-5/072-954-8022

吉村家はかつて、周辺十八ヶ村を管轄する大庄屋を務めた家柄である。主屋は大坂夏の陣で焼失後、間もなく再建された歴史ある家屋である。その後幾度か増改築が行われ、現在の姿となったのは寛政年間の頃である。


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・・・中学校の美術教科書にも紹介されていますので、ご存知の方も多いのではないでしょうか。


羽曳野市にある吉村家住宅のアプローチ。長屋門をくぐり、大戸口まで斜交いに玉石の歩み。その先に土壁と柱と貫による縦横の何とも絶妙なバランスのファサードの壁が見えている。企画撮影二川幸夫伊藤ていじによる名著「日本の民家」新装版の表紙カバーにも採用されている“最も有名な日本の民家のひとつ”と言っても過言ではありません。大壁になっているその他の部分の外壁は漆喰塗だけれど、この玄関廻りの壁はベージュの土壁で真壁仕上げになっています。半間(約90㎝から100㎝の間)奥まっているので雨に打たれにくいという事でこの部分だけ仕上げ方が違うのです正式な「玄関」は奥の座敷の前に玄関の間というものがあり、ここは土間に入る大戸口という場所。客人が出入りする場所では無く、住人が出入りする通用口のような場所。縦横に組まれた柱や貫はもちろん構造材なのですが、材の太さ、間隔、位置など建物を支えるだけでなくデザイン的な視点をもって木組みの美しさを表現しているようです。オランダの芸術家であり、建築にも大きな影響を与えたピエト・モンドリアンの抽象画を思わせる矩形デザインは実用美をベースに置きながらもさらなる創意工夫で手仕事の素晴らしさを表現しようとした当時の大工の心意気を感じさせます


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・・・私も、ようやくこれらの価値がわかる年齢になりました。