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・・・玉手山への行き帰りには、「石川」にかかる3つの橋のいずれかを渡ることになります。


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石川橋

右岸:柏原市石川町/左岸:藤井寺市国府2丁目

大阪府の中央部よりやや南側で、奈良県に通じている東西向きの幹線道路として利用の多いのが、府道堺大和高田線(府道12号)です。この府道が石川を越える場所が石川橋です。堺市から東へほぼまっすぐ通り、藤井寺市を東西に突き抜けて柏原市に入り、そうして奈良県に入って行きます。この府道堺大和高田線がバイパス道路としてできる基となった長尾街道がこの位置を渡河していました。もっとも、近世以前の昔には橋は無く、船か徒歩渡しだったかも知れません。長尾街道の基だったと言われる古代の官道大津道は、もっと北の方で東に直進していたそうなので、古代に石川を渡河していたのはもっと北の位置であったと推定されます。そして、石川を渡った所で北から南下して来る東高野街道と交わっていたようです。

1876年(明治9年)11月に河内国志紀郡国府村が作成した『橋梁井堰樋管堤防明細帳』の中に石川橋についての記載があり、「奈良街道筋一石川架橋木渡八十六間・巾弐間・高弐間壱ケ所官費民費ヲ以架之」となっています。長尾街道は明治の中頃までは「奈良街道」や「大和街道」と呼ばれていました。記載内容は、「奈良街道筋には石川に架けられた橋あり。木製で、長さ86間(約156m)幅2間(約3.6m)高さ2間のものが一カ所あり。公費と民間資金とでこの橋を架けた。」ということです。これが史料の中で最初に見られる「石川橋」です。また、明治12年4月に河内国第壱大区弐小区が作成した『奈良街道橋梁取調書』では、志紀郡国府村の総代による調査報告として、「奈良街道一板橋長八拾六間・巾弐間壱ケ所但片山村領境中央」とあります。橋は、「板製の橋で、長さ86間・幅2間のものが一カ所あり。ただし、片山村領との境が中央にあり。」というものです。片山村は、石川をはさんで国府村の対岸にあった村で、現在は柏原市域です。当時から橋の中央、つまり川の真ん中が村の境界であったことがわかります。明治18年測量の仮製地形図でも、「石川橋」の名前が載っています。明治25年作成の『明治廿四年 大阪府石川・錦郡・八上・古市・安宿部・丹南・志紀郡役所統計書』では、「橋梁」の項に、「石川橋石川志紀郡道明寺村大字国府木造延長四八〇尺幅員一三尺八寸」と書かれています。長さ480尺(約145m)、幅13尺8寸(約4.2m)で、明治9年・12年の記録よりも短くて幅の広い橋になっています。堤防が補強されて一回り大きくなったことで、橋の部分は短くなったのかも知れません現在の石川橋は、府道堺大和高田線の新設に合わせて1955年(昭和30年)にできていますが、この路線は東西道路が少ない中で利用度が高く、橋の西詰め・東詰めの交差点もあって朝夕の混雑が多いため、後に拡幅増設工事がおこなわれて現在の姿になっています。古代には、現在の藤井寺市の辺りに「河内大橋」という橋のあったことが、万葉集の中で歌われています。この橋の架かっていた川が石川ではないかとする説があります。一方、大和川だとする説もあり、また、橋の位置についても諸説があって、よくはわかっていません。


・・・その右岸にある「玉手山ドライブイン」は、自動車での通行のランドマーク的存在でした。長く閉まったままでしたが、


クルマノマ玉手山ドライブイン

582-0029柏原市石川町4-1玉手山ドライブイン072-951-9916

女性でも男性でも入りやすいお店が1番のウリです☆もちろん入りやすいだけでなく、クルマに関する知識も十分です!ぜひ、1度足を運んで頂いて実感して下さい♪社長の人柄がわかるブログも更新中~♪http://ameblo.jp/ac19952007/



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そして、最高のランドマークは、


◆玉手橋

右岸:柏原市石川町・玉手町左岸:藤井寺市道明寺3丁目

1928年(昭和3年)当時の大阪鉄道(現:近鉄)が、道明寺村(現:藤井寺市)側にある道明寺駅から石川対岸の玉手村(現:柏原市)側にある玉手山遊園地への通行路として設置したが、現在は主に柏原市内の玉手山西側の地区から近鉄道明寺駅を利用する通勤・通学者が利用している。長さ151m幅員3.2mの5径間吊橋で、径間は18.1m-38.1m-37.9m-38.5m-18.9mとなっている。


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主塔と橋台は鉄筋コンクリート製であるが、部分的に装飾を兼ねたレンガで補強されている。上路部は鉄製トラス補剛桁でアスファルトで舗装されているものの、架橋構造は典型的な吊り橋である。したがって、渡るときに少々揺れを感じる場合がある。なお、本橋は歩行者・自転車専用である。戦後、管理は当時の国分町(現:柏原市)に引き継がれる。2001年(平成13年)吊り橋としては日本全国で初の国の登録有形文化財となった。


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・・・橋梁なので、重要文化財の表示板は両サイドに付いていました。


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・・・設計・施工等については、左岸欄干の下部プレートに刻まれていますので、興味のある人は判読してください。