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・・・先日、「大阪城」の梅園に行ってきたところだけれど、やはり最も近い梅園に行かなくっちゃと、


どう1


◆【道明寺天満宮】◆

583-0012藤井寺市道明寺1-16-40072-953-2525



土師窯跡碑昭和十七年

正面の石段を上がった左側に建っています。土師窯跡碑の横に建碑の由来が書かれてあります。我が国の陶業発祥の地として建碑された土師窯跡碑です。

土師窯跡
昭和十七年十二月八日
大阪陶磁器同業組合
ふじい寺 石井 石留
建碑の由来
日本書紀ニ拠レバ第十一代垂仁天皇ノ御宇菅公の祖野見宿祢土偶ヲ以テ殉死ニ代ヘント進言シ大ニ嘉賞セラレ其ノ功ニヨリ土部職ニ任ジ因テ本姓ヲ改メ土部臣ト謂ヒ鍛地ヲ賜フ土部郷即チ之ナリ江談抄ニ所謂土部氏ノ本邑ニシテ土偶即チ埴輪ヲ作リシ窯跡ナレバ我国陶業発祥ノ地トシテ由緒ノ所也時ニ大東亜戦一周年ニ際会シ其建設事業モ着々進捗発展ヲ遂ゲントスルノ秋我等組合有志相詢リ此碑ヲ建立シ以テ先人ノ遺跡ヲ永後昆ニ垂レントスト云爾      組長 欅田藤郎誌



どう2


東風吹かば 匂ひおこせよ梅の花 主なしとて 春な忘れそ(春を忘るな)


どう3


祭神は菅原道真公、天穂日命と、菅原道真公のおばに当たる覚寿尼公である。隣接して道明寺という真言宗の尼寺がある。この地は、菅原氏・土師氏の祖先に当たる野見宿禰の所領地と伝え、野見宿禰の遠祖である天穂日命を祀る土師神社があった。仏教伝来後、土師氏の氏寺である土師寺が建立された。伝承では聖徳太子の発願により土師八島がその邸を寄進して寺としたという。平安時代、土師寺には菅原道真公のおばに当たる覚寿尼公が住んでおり、道真公も時々この寺を訪れ、この寺のことを「故郷」と詠んだ詩もある。延喜元年(901年)、大宰府に左遷される途中にも立ち寄って、覚寿尼公との別れを惜しんだ。道真公遺愛の品と伝える硯、鏡等が神宝として伝わり、6点が国宝の指定を受けている。後に、道真自刻と伝える十一面観音像を祀り、土師寺を道明寺に改称した。天暦元年(947年)のことという。道真ゆかりの地ということで、道明寺は学問の神としての信仰を集めるようになった。明治の神仏分離の際、道明寺天満宮と道明寺を分け、道明寺は道を隔てた隣の敷地に移転した。現在も学問の神として地元の人々に親しまれている。また境内には80種800本の梅の木があり、梅の名所として知られている。


どう4


◆宝物館

御神宝を所蔵・展示する建物です。明治35(1902)年、菅原道真公壱千年祭の記念事業として建てられました。

平成26年の拝観日1月1・2・3・25日2月9・11・15・16・22・23・25日3月1・2・8・9・25日4月18日5月11日


どう5


修羅保存庫


展示している修羅は、昭和53年に三ツ塚古墳(道明寺6丁目)の出土品を西岡常一ら宮大工の手で復元したもの。この修羅は同年9月3日に、朝日新聞社や考古学などの専門家によって、市内の大和川河川敷で巨石を乗せて牽引する実証実験に使われた。


・・・観梅の時期には、入園料が必要になります。でも、それだけの値打ちはありますよ。