ミュージアム | すくらんぶるアートヴィレッジ

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海営宮池遺跡

新家川にほど近い信達大苗代にある海営宮池(かいごいけ)は、奈良時代の僧、行基によって開かれたとの伝承を持つ大きな溜池です。そのほとりで木葉形尖頭器が見つかりました。木葉形尖頭器は、サヌカイトという石を割って「木の葉」のような形に仕上げ、ヤリ先として使用したものです。今から1万年以上も前のものと考えられます。このような形のヤリ先は泉南市内ではもちろん、全国的にも珍しいものです。


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史跡海会寺跡広場・一岡神社

今からおよそ1350年の昔、泉南の地に突如として現れた古代寺院海会寺。きらびやかな荘厳に満ちたその姿は、人々にあらたな時代の到来を告げるものでした。律令国家が終わりを迎えると、海会寺もまたその意義を失い、やがて地中深く埋もれてしまいます。そして現代、発掘調査によりその全ぼうが明らかにされた海会寺跡。調査成果をもとに史跡海会寺跡広場として整備し、広く市民の憩いの広場として親しまれています。現代に甦った五重塔の巨大な基壇に当時の姿を思い起こしてみてください。


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泉南市信達大苗代550-2信達大苗代郵便局前


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泉南市信達牧野1318-1


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茅渟神社泉南市樽井2144

当社の創建年代は不明であるが、もとは八王子社と呼ばれ、庶民の熊野信仰から八王子権現を勧請して祀ったのが起こりと思われる。当社付近から平安時代の古瓦が出土し、神宮寺のものでないかと推定される。1585年(天正13年)豊臣秀吉の根来攻めの折、兵火に罹り社殿旧記悉く灰塵に帰し、記録は残っていない。その後、村民の手で本殿は復興され、江戸時代は南泉寺が社僧として、神事を勤めた。現在の社殿は1725年(享保10年)社僧亮海の修復であるが、桃山風の建築様式を伝えているという。「茅渟」とは和泉国の古名で、日本書紀によると允恭天皇が、皇后の妹姫にあたる衣通姫を大層愛し、ここに宮を建てたと伝えられています。また、姫が天皇を慕ってよんだ歌を万葉仮名で記した碑石も建てられています

泉南市樽井4-25-31