ミュージアム | すくらんぶるアートヴィレッジ

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・・・「金閣寺」の近くにある美術館とは、


どう1


◆【京都府立堂本印象美術館】◆

603-8355京都市北区平野上柳町26-3075-463-0007


・・・このゴテゴテの美術館を実際に見てみたかったのです。


どう2


堂本印象、明治24年京都生れ。本名三之助。明治43年京都市立美術工芸学校を卒業後、しばらく西陣織の図案描きに従事し、大正7年、日本画家を志して京都市立絵画専門学校に入学。翌8年、初出品した「深草」が第1回帝展に入選した。第3回展では「調鞠図」で特選、また、第6回展の「華厳」では帝国美術院賞を受賞するなど一躍画壇の花形となった。絵画専門学校の教授として、また私塾東丘社の主宰者としても多くの後進を育成、昭和19年、帝室技芸員となった。戦後は、独自の社会風俗画により日本画壇に刺激を与えた。昭和25年、芸術院会員。さらに昭和30年以降は抽象表現の世界に分け入り、その華麗な変遷は世界を驚かせた。多くの国際展にも招かれ、昭和36年には文化勲章を受章した。昭和41年、自作を展示する堂本美術館を自らのデザインにより設立。また、様々な技法を駆使しあらゆる画題をこなす画才は、各地の寺社仏閣の障壁画においても発揮され、多くの作品を残した。昭和50年9月逝去、83歳。なお、美術館は平成3年8月にその所蔵作品とともに京都府に寄贈され、平成4年4月京都府立堂本印象美術館として開館し今日に至っている。


どう3


「美の跫音(あしおと)―1952年のパリ・ローマ・フィレンツェ―」

2013年12月4日(水)2014年3月30日(日)

堂本印象は、1952(昭和27)年5月から約半年間にわたって甥の堂本尚郎氏とともにヨーロッパへ旅立ちました。現地では、パリを中心にローマ、フィレンツェの街を見学し、さらにはスペイン、ドイツ、スイスにも訪れました。名所や旧跡を旺盛に見学する一方で、印象は現地で目にした味わい深い風景を数多くスケッチとして残しました。それぞれの町の佇まいを情緒豊かにとらえたこれらの作品からは、印象が何気ない裏町の一画やそこで生活する人々の姿に強く関心を示した様子がうかがえます。また、印象は、各地の古い教会や美術館へ足を運び、日本とは異なるヨーロッパの文化・芸術にふれ、その歴史や造形に魅了されました。このときの経験は、『美の跫音(あしおと)―ヨーロッパ美術紀行』として多くの挿絵とともに一冊の本となり、帰国後に出版されています。本展では、ヨーロッパの風景を題材にした瀟洒な素描、ペン画、油彩画の数々を中心に、現地の芸術体験を糧に制作した帰国後の作品もあわせて展観します。異文化にふれて新たな表現の扉を開いた印象の旅情を感じとっていただければ幸いです。



どう4


「浅井忠の眼―パリの街角を飾ったポスター―」

浅井忠は、1902(明治35)年に京都高等工芸学校(現・京都工芸繊維大学)の図案科教授として着任しました。洋画家として知られる浅井ですが、1900年のパリ万博を機に2年間フランスに留学し、そのとき目にしたアール・ヌーヴォーに興味を示し、京都へ移住すると図案への関心を強めます。本展では、京都工芸繊維大学美術工芸資料館の協力を得て、京都高等工芸学校図案科の教材用に浅井忠などがパリから持ち帰ったポスターの数々を展示します。ロートレックやシェレなどによって賑わった19世紀末のパリのポスターデザインをお楽しみください。



どう5


・・・帰り際に「お庭も見てくださいね」と言われて、狭いながらも楽しい散歩ができました。言われなかったら、見ずに帰ってしまったところです。よかったよかった。