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・・・年老いた母といっしょですから、二条城の次は「金閣寺」にしました。


きん1


・・・さすがに、観光客がいっぱいでした。最近物忘れがひどくなってきた母ですが、金閣寺は「来たことがある」とすぐに言いいました。金閣寺は、とてもわかりやすい観光名所です。


きん2


・・・お札が「入場券」というのは、とてもいいですね。


◆【鹿苑寺「金閣寺」】◆

603-8361京都市北区金閣寺町1075-461-0013

正式名称を鹿苑寺といい、相国寺の塔頭寺院の一つ。舎利殿「金閣」が特に有名なため一般的に金閣寺と呼ばれています。元は鎌倉時代の公卿、西園寺公経の別荘を室町幕府三代将軍の足利義満が譲り受け、山荘北山殿を造ったのが始まりとされています。金閣を中心とした庭園・建築は極楽浄土をこの世にあらわしたと言われ、有名な一休禅師の父である後小松天皇を招いたり、中国との貿易を盛んにして文化の発展に貢献した舞台で、この時代の文化を特に北山文化といいます。義満の死後、遺言によりお寺となり、夢窓国師を開山とし、義満の法号鹿苑院殿から二字をとって鹿苑寺と名づけられました。金閣は舎利殿として建てられたもので、鏡湖池に臨む三層の楼閣は二層・三層に金箔をはった室町期楼閣建築の代表例です。庭園は特別史跡・特別名勝に指定されており、三島由紀夫や水上勉の小説で知られるように、現在の金閣は昭和25年火災で焼失したものを再建したものです


きん3


金閣寺(鹿苑寺)の境内(約4万坪)の半分以上を占めるのが鏡湖池をはじめとする庭園です。鏡湖池には池の中に葦原島、鶴島、亀島など大小の島があります。また室町時代には足利義満に取り入ろうとした諸大名が競って石を奉納しました。例えば、畠山石、赤松石、細川石などの奇岩名石には諸大名の名前が残っています。金閣寺の西にある衣笠山を借景とした庭園は室町時代の代表的な池泉回遊式庭園で国の特別史跡、特別名勝にも指定されています。



金閣寺垣

この垣は50~90㎝位の高さで造られる事が多く、足元垣・仕切垣として広く活用されている竹垣。約5㎝程の丸竹を立子とし、約20㎝間隔に1列に並べる立子の上端の玉縁は太竹半割をすはま重ねにし、押縁は太竹の半割を用い立子を挟み込むようにして固定する


きん4


夕佳亭

金閣寺の北側出口付近の高台にある茶室「夕佳亭」は、金森宗和が制作に携った代表的な数奇屋造りの茶室の一つです。夕方に金閣がまことに美しく見えるという意味から名付けられた茶室で内部は思ったよりも広くゆとりのある茶室で比較高い場所に造った為、茶室がはり出しているのが特徴です。また茶室正面から見ると、あまりわかりませんが多角形の形状で思ったより複雑な形状の茶室です。夕佳亭は明治初期に惜しくも消失してしまい、その後再建されて近年、平成の解体修理が行われて夕佳亭の古図が発見されたことから建築当初の近い形に復元されているようです。金森宗和は大徳寺を本拠に幅広く活動して京都の寺社、武家、公家と社交的に行動して顔も広かったのですが、宗和は、この時代の金閣寺の住職で茶道にも通じ当時一流の文化人だった鳳林和尚とも親交が深かったので、ここの茶室の制作にも尽力して日々、語りあったと思われます。

夕桂亭ナンテン床柱有名で中柱(茶室内にはりだして炉隅に立てた柱)に用いられています。ナンテンの柱としては日本で最大であろうといわれています。これは足利義満が海路はるばる琉球王国から取り寄せたものと伝えられています。さらに、萩の違い棚は、木の根の方と枝先とを交互に組合わせて中央に鶯宿梅を配しています。違い棚は、上の段に筆を並べ、下の段にすずりや書物を置くルールがありました。これに、公務用の上に冠・下に烏帽子、趣味で手に入れた香炉を置くようにもなります。やがて筆記用具を置かなくなって違い棚だけが残りました。夕佳亭「萩の違い棚」は床に向かって右に設けたほぼ三角形の棚になっています。



きん5


・・・この「金閣寺」も目的のひとつでしたが、実はこの近くにある美術館に行きたかったのです。