・・・寄り道、
・・・「平城京」から「藤原京」へ。同じく「東大寺」に行ったのだから「西大寺」にも寄っておかなければと。
◆西大寺
631-0825奈良市西大寺芝町1-1-5/0742-45-4700
称徳天皇の勅願により、常騰を開基として天平神護元年(765)に創建されました。当時は広大な寺域に多数の堂塔が建ち並び、東大寺と共に栄えていましたが、承和13年(846)以後数多の火災にあい、創建当時の建物はほとんど焼失しました。鎌倉時代に叡尊により復興されましたが、戦国時代には再び火災で焼失しました。現在残っている本堂(重文)、愛染堂(重文)、四王堂(重文)などは江戸時代中期に建てられたものです。叡尊が始めた「大茶盛」の寺としても有名です。
◆【奈良文化財研究所・藤原宮跡資料室】◆
630-8577奈良市佐紀町247-1/0742-30-6733
奈良文化財研究所 都城発掘調査部(飛鳥・藤原地区)は、飛鳥・藤原地城に残る遺跡(宮・京・寺院・古墳墓など)の発掘調査や整備をおこない、出土した遺物(土器・木器・金属器・瓦類・木簡など)の調査や保存整理にたずさわる研究機関です。これまで当調査部が取り組んできた調査・研究の成果、とりわけ「藤原宮と京」に関する成果を一般に公開するため、構内の一部に「資料室」を設けています。なお、当調査部がおこなった飛鳥地域における発掘調査等の成果は、「飛鳥資料館(明日香村奥山)」にて公開展示していますので、あわせてご覧下さい。
我が国で初めて首都として計画的に造られた都市が藤原京です。日本書紀では「新益都(しんやくのみやこ)」という表現で登場します。都が藤原京に移ったのは持統8年(694年)ですが、この都づくりを計画したのは天武天皇でした。その末年には、道路づくりなど実際の京造営工事がはじまっていたことが発掘調査でわかってきました。 京内は中央に宮をおき、中国の都城にならって、縦横に走る条坊道路で整然とした区画割りをしています。それらの多くは貴族・役人の宅地として身分に応じた広さで支給されていました。 また、京内には沢山の寺がつくられましたが、中でも官立の大寺院として大官大寺と薬師寺が東西に配置され、荘厳さを競っていました。京内の人口は2~3万人と推定されますから、官営の市場はさぞにぎわっていたことでしょう。藤原京は16年間と短い期間でしたが、日本が律令国家としての体裁を整えていく、とても重要な時代の都です。大宝元年(701)には大宝律令が完成し、政治のしくみが整備されるとともに、富本銭に続いて和同開珎が発行され、経済の仕組みも変化していくことになりました。藤原京の大きさは、これまで古代の幹線道路の中ツ道、下ツ道、横大路、山田道を京の端の道とした東西2.1km・南北3.2kmと推定してきました。ところが、この範囲をこえて外側にも道路や宅地が広がっていることが近年の発掘調査によってわかり、平城京をしのぐ広大な都の姿が明らかになりつつあります。
1300年前の首都・藤原京の中心、現在でいえば皇居と国会議事堂と霞ヶ関の官庁街をあわせたところが藤原宮です。都の中央約1km四方を占め、まわりは高さが5.5mもある瓦葺きの塀が巡り、各辺には門が3ヶ所ありました。そして、塀に平行して内堀と外堀がつくられていました。 宮の内部は、中央に政治・儀式の場である大極殿、貴族・役人の集まる朝堂院が南北に並び、大極殿の北は天皇の住まいの内裏でした。大極殿と朝堂は宮殿で初めての瓦葺きで、礎石の上に柱が立つ建物です。大極殿は当時最大級の建物でした。これら中央の区画の両側は官公街です。日の出前から出勤した役人たちが、ここで政治の実務を担当していました。中央部に接して一辺約70mの塀で囲った四角い区画の役所が南北に並び、その外側は大きな区画の役所で、長い建物が建つことがわかってきています。当調査部の敷地は、藤原京の左京六条三坊にあたります。このため、庁舎建設に先だって敷地全体の発掘調査をおこないました。その結果、京の道路跡(東三坊坊間路・六条条間路)や、宅地内の様々な施設(建物・塀・井戸など)を発見しました。その成果にもとづいて建物の構造や位置を決め、地下遺構の保存をはかりながら、庁舎建物を建設しました。また一方、発見した遺構の主なものを、敷地内に適宜、表示しています。正面入口を入ってすぐの南北道路は「東三坊坊間路」の位置と規模を表したものです。その道路の東側と西側にならぶ陶製の柱列は宅地を区画する塀の位置に立っています。通路の北寄りには、一坊分を占める宅地の中心になる建物を示しています。展示室の東には、屋外展示コーナーを設け、建物一棟をツゲの木の柱で表示し、宅地内の木塀を復原しています。「天の香久山」を借景に万葉の風景に親しんでいただければ幸いです。ほかに屋外展示として、藤原宮跡から発見された「礎石」と「唐居敷(からいじき)」をならべています。なお、敷地内に植えてある樹木も、古代からあった種類を選んでいます。調査部の敷地内には、これら以外にも、収蔵庫・研究室・整理室・器材置き場などがありますが、日常の業務に使用していますの、一般の方の立ち入りはご遠慮下さい。
・・・橿原市の藤原京資料室にも行ってみることにしました。