◆【神戸アンパンマンミュージアム&モール】◆
650-0044神戸市中央区東川崎町1-6-2/078-341-8855
2013年にオープン。アンパンマンが発信する『愛と勇気』『優しさと友情』というメッセージを大切にし、良い子たちの夢に応えられる、安全で上質な施設をつくりました。全国で4か所目となるアンパンマンこどもミュージアムは、西日本で初めてとなります。アンパンマンの世界が広がるミュージアムでは、体を動かして楽しむことのできる遊具やジオラマがあり、ショッピングモールでは限定グッズやフードがいっぱいです。 子どもたちだけではなく、ご家族みんなが笑顔になれるそんな施設です。アンパンマンと元気100倍で、みなさまをお待ちしております。
・・・さすがに、私一人で入ることはためらいました。またの機会に孫を連れて来れたらと思います。
◆神戸モザイク
1992年(平成4年)10月1日、三菱倉庫の倉庫跡地に『神戸モザイク』の名称でオープン。海と運河に囲まれた三層構造の建物にショッピング、レストラン、アミューズメント施設などを備える。神戸ハーバーランドの東側、神戸港のウォーターフロントに面している。2階のウッドデッキからは、高浜岸壁に停泊中の遊覧船『神戸コンチェルト』や対岸の神戸メリケンパークオリエンタルホテルといった、メリケンパークや中突堤周辺の景色を望むことができる。当初の施設の開発および管理は、阪急百貨店が40%、阪急電鉄・東宝・三菱倉庫の三社が20%ずつ出資し、1990年(平成2年)に設立された『タクト』が務めていた。しかし、2012年(平成24年)3月11日の神戸阪急の閉店に合わせ、阪急百貨店や親会社のエイチ・ツー・オー リテイリング(H2O)がハーバーランド圏内の商業施設の運営から撤退することを表明。同年4月1日付で、建物を所有する三菱倉庫にタクトの株式40%全てを譲渡し、経営権も移行した。ハーバーランドの商業施設が全体的に不振に喘いでいるのに対し、神戸モザイク(当時)はテナントの撤退が比較的少ない堅調さを見せていた。そんな中のH2Oの撤退に伴い、神戸阪急の跡地とHa・Re(当時)と合わせてイオンモールによる再開発が行われることになり、2013年(平成25年)4月18日に前二者と共に『umie』としてリニューアルオープン。これにより当館もumieに編入され、名称も『umie MOSAIC』に一新された。『umie MOSAIC』への改称後も、多くのテナントは神戸モザイク時代から営業を継続している。また、館内には阪急阪神東宝グループ傘下のオーエスが運営する映画館『シネモザイク』が入居していたが、『umie MOSAIC』へのリニューアル後は『OSシネマズ神戸ハーバーランド』として「SOUTH MALL」の5・6階に移転の上、スクリーン数も4つから9つに拡張された。なお、施設の南側には阪神・淡路大震災からの復興のシンボルとして、1995年(平成7年)12月に『モザイクガーデン』が開業したが、老朽化などでアトラクション利用者数が減少したとして、2012年(平成24年)5月6日までに観覧車以外の営業を終了した。モザイクガーデンの跡地には、『umie MOSAIC』へのリニューアル翌日に当たる2013年(平成25年)4月19日に、アンパンマンのテーマパーク『神戸アンパンマンこどもミュージアム&モール』が開業した。
・・・ウルトラマンショップには、ためらわずに入りました。
●新谷琇紀
「愛」をテーマに精緻で柔らかな作風を持つ。女性を中心とした人物像などを発表、その多くが神戸市内に野外彫刻として設置されている。1937年7月、新谷英夫の長男として、兵庫県神戸市に生まれる。父を師として彫刻を始めた。兵庫県立御影高等学校、金沢美術工芸大学を卒業後、イタリアのローマへ留学し、エミリオ・グレコらに師事する。神戸女子大学で教授職の傍ら、彫刻家として作品を発表してきた。妹の新谷英子も彫刻家。1971年12月28日、イタリア人モナイ・パトリツィアとイタリアにて結婚。ほとんどの女性の彫刻はパトリツィアがモデルになっている。1973年に長女、1975年二女が生まれ、二人が新谷彫刻研究所を引き継いでいる。2006年8月31日、肝不全のため69歳で死去。