・・・今回スルーした、奈良公園のミュージアムを紹介しておきます。
◆【奈良県立美術館】◆
630-8213奈良県奈良市登大路町10-6/0742-23-3968
日本画家吉川観方氏が蒐集した近世の日本画・浮世絵、染織品などの寄贈を機に、1973年開館しました。以来、近世から現代に至る優品や、奈良にゆかりの深い作品なども蒐集し、約4200件を収蔵しています。展覧会は館蔵品展と特別展を年5~6回開催しています。
●吉城園
630-8213奈良市登大路町63番地/0742-23-5821
「興福寺古絵図」によると同寺の子院であります摩尼珠院があったところとされています。明治に奈良晒で財を成した実業家の邸宅となり、大正8年(1919年)に現在の建物と庭園が作られました。園内は池の庭、苔の庭、茶花の庭からなり、苔の庭には離れ茶室があります。池の庭は江戸時代からの地形の起伏、曲線を巧みに取り入れ、建物と一体となるように造られています。苔の庭は、水門町という町の名前にもあるように周辺一帯は地下水脈が豊富に流れているといわれ、杉苔の育成に適し、全面が杉苔におおわれた庭園です。かや葺きの茶室から眺めるこの杉苔の庭は、秋には紅葉の葉による赤色の絨毯で覆われ、なんとも言いがたい美しい景色と成ります。茶花の庭は、茶席に添える季節感のある草花などが植えられ、素朴で潤いのある庭園として親しまれています。
◆【寧楽美術館・依水園】◆
630-8208 奈良県奈良市水門町74依水園内/0742-22-2173
中国の古鏡・古印・碑帖、韓国の高麗・朝鮮時代の陶磁器、日本の江戸時代の茶陶磁類などの優品を収蔵。このコレクションは中村準策・準一・準佑の三代が収集した一万点以上の美術品のうち、神戸の大空襲を運良く免れた2千数百点の寄贈によるもの。展示品の入れ替えは、毎年7月中旬から8月初旬に行われる。
入館料は依水園入園料に含まれています。東大寺南大門、若草山、春日奥山、御蓋山を借景とした、明治期を代表する奈良市内唯一の池泉回遊式庭園。総面積は1万3500平方mにおよぶ。前園は江戸時代に奈良晒業者清須美道清が別邸として、後園は明治時代に関藤次郎により作られました。
◆【奈良国立博物館】◆
630-8213奈良市登大路町50番地/050-5542-8600
明治28年(1895)創立、平成7年(1995)に100周年を迎えた歴史ある博物館。東京の国立博物館についで作られた博物館でレンガ造りのなら仏像館は重要文化財に指定されています。奈良公園内にあり、主として仏教に関する美術工芸品および考古遺品などを平常陳列しています。なら仏像館・青銅器館・東新館・西新館の4つのギャラリーがあります。仏教美術資料研究センターでは、仏教美術に関連する図書や写真などの資料を収集して研究者などに公開しています。
◆正倉院
奈良・平安時代の中央・地方の官庁や大寺には、重要物品を納める正倉が設けられていました。そしてこの正倉が幾棟も集まっている一廓が正倉院と呼ばれたのです。しかし、あちこちに置かれた正倉は、歳月の経過とともにいつしか亡んでしまい、わずかに東大寺正倉院内の正倉一棟だけが往時のまま今日まで残ったのです。これがすなわち、正倉院宝庫です。8世紀の中頃、奈良時代の天平勝宝八歳(756)6月21日、聖武天皇の七七忌の忌日にあたり、光明皇后は天皇の御冥福を祈念して、御遺愛品など六百数十点と薬物六十種を東大寺の本尊盧舎那仏(大仏)に奉献されました。皇后の奉献は前後五回におよび、その品々は同寺の正倉(現在の正倉院宝庫)に収蔵して、永く保存されることとなりました。これが正倉院宝物の起りです。そして、大仏開眼会をはじめ東大寺の重要な法会に用いられた仏具などの品々や、これより200年ばかり後の平安時代中頃の天暦4年(950)に、東大寺羂索院の倉庫から正倉に移された什器類などが加わり、光明皇后奉献の品々と併せて、厳重に保管されることとなったのです。正倉院宝物は、このようにいくつかの系統より成り立っています。この正倉院宝庫は、千有余年の間、朝廷の監督の下に東大寺によって管理されてきましたが、明治8年(1875)、宝物の重要性にかんがみ内務省の管轄となり、次いで農商務省を経て宮内省に移り、引き続き宮内庁の所管するところとなったのです。なお、宝庫は現在、古来の正倉のほかに西宝庫・東宝庫があり、いま宝物はこの両宝庫に分納して保存されています。
・・・そういう意味で、「正倉院」こそが最高最大のミュージアムかもしれません。
このような由来をもった正倉院宝物は、そのほとんどのものが奈良時代、8世紀の遺品であり、波濤をこえて大陸から舶載され、あるいは我が国で製作された美術工芸の諸品や文書その他です。いま宝庫に伝えられている宝物の点数は、整理済みのものだけでも約九千点という膨大な量に上っており、またその種類も豊富です。試みに用途別に分類すると、書巻文書、文房具、調度品、楽器楽具、遊戯具、仏教関係品、年中行事用具、武器武具、飲食器、服飾品、工匠具、香薬類など生活の全般にわたっており、奈良時代の文化の全貌を眼のあたりに知ることができます。製作技法について見ても、金工、木工、漆工、甲角細工、陶芸、ガラス、染織など美術工芸のほとんどすべての分野におよび、平脱、木画、螺鈿、撥鏤、三彩、七宝といった高度の技法を用いたものが多く、使用材料の種類も豊富です。光明皇后奉献の趣旨と品目を記載した献物帳、樹下美人像で知られる鳥毛立女屏風、世界唯一の遺品でもある華麗な五絃琵琶、遙かなシルクロードの旅路を偲ばせるカットグラスの白瑠璃碗、黄金・珠玉で飾った犀角如意、現存最古の戸籍である大宝2年(702)の戸籍、狩猟文その他異国要素の文様をもった正倉院裂の数々、その他著名な宝物だけでも数え上げるときりがありません。このような内容をもった正倉院宝物はまた、次のような重要な特質をそなえています。それはまず由緒伝来や製作年代、使用年代の明らかな宝物が少なからず含まれ、このため学術上寄与するところが多いことです。次に宝物が出土品ではなく、伝世品であるという点です。古代の遺品といえば、多くは地中から発掘されたものですが、正倉院宝物は出土品ではなく、木造の宝庫に納められて、千二百年余にわたって伝世してきたものです。従って保存状態も良好で、伝世品としての品格と美しさを保持していることは、誰もが感嘆するところです。さらにいまひとつの特質は、世界性です。正倉院の宝物は、国際色豊かな中国盛唐の文化を母胎とするもので、大陸から舶来した品々はもとより、国産のものもまた、その材料、技法、器形、意匠、文様などに、8世紀の主要文化圏、すなわち中国をはじめ、インド、イランからギリシャ、ローマ、そしてエジプトにもおよぶ各地の諸要素が包含されています。なかでも注目されるのは、西方的色彩の濃厚なことですが、西方の要素は盛唐の文物に取り入れられ、やがて我が国に伝来して、正倉院にとどまっているのです。「正倉院はシルクロードの終着点である」という言葉は、この宝物のもつ世界性の一端を言いあらわしたものといえるでしょう。正倉院宝物は、単に奈良朝文化の精華を示すだけでなく、実に8世紀の世界文化を代表する貴重な古文化財なのです。
正倉院正倉は、奈良時代の八世紀中頃に創建され、1,200年以上の歴史を有する国宝指定の建造物ですが、大正2年に実施された解体修理から約100年を経過し、傷みが徐々に進行して雨漏りが懸念される状態となったことから、平成23年度より屋根の葺き替えを主とする整備工事を行うこととなりました。つきましては、文化財建造物の保存修理について理解を深めていただく機会と致しまして、この工事期間中に計5回の現場公開の実施を予定しております。
約100年ぶりの大修理が決まっている奈良市の正倉院(8世紀後半、国宝)で2008年2月1日、有識者でつくる宮内庁の「正倉院正倉整備に関する懇談会」が開かれた。これに先立ち、正倉内部が報道陣に公開された。記者会見した懇談会の座長、鈴木嘉吉元奈良文化財研究所長(建築史)らによると、約3万枚の瓦はひび割れやずれがひどく、雨漏りの跡もあり、全面的なふき替えが必要と判断。建物への負担を小さくするため瓦の軽量化も検討する。前回の1913(大正2)年の修理では、屋根裏や壁の内側に補強部材を取り付けるなどした。鈴木座長は「思ったよりしっかりしており、当時としては最高水準の補修だ。当初の部材の保存状態も良い」と、内部の本格的な修理は必要ないとの認識を示した。正倉院は校倉造りで、幅約33メートル、奥行き約9・4メートル、高さ約14メートル。内側の壁には鎌倉時代の落雷で焼け焦げた跡も残っていた。主要な宝物は戦後作られた宝庫に移されており、現在内部には宝物を納めていた唐櫃や明治時代の陳列ケースが置かれている。
今年は、その最終回として屋根瓦の葺き替えが完了した正倉を間近でご覧いただきます。平成26年2月7日(金)から2月11日(火・祝)までの計5日間実施いたします。
宮内庁京都事務所正倉現場公開係(電話番号0180-99-7070)
◆【奥村記念館】◆
630-8212奈良市春日野町4番地/0742-26-5112
1907年(明治40年)、奥村組の歴史は奥村太平(初代社長)が生まれ育った奈良県香芝市から始まりました。以来、「堅実経営」「誠実施工」を信条に、調和のとれた総合建設会社として着実に歩んでまいりました。2007年(平成19年)、当社が創業100周年を迎えられたことに感謝の気持ちを込め、ゆかりの深い奈良の地に、「奥村記念館」を開館いたしました。古都の景観に溶け込むデザインの建物内には、ゆったりとくつろいでいただける憩いのスペースと、当社100年間の歴史や技術を紹介する展示スペースを設け、無料開放いたします。古都散策時に一息ついていただく場所として、地域の方々をはじめ、奈良を訪れる多くの方に、ご利用いただければ幸甚でございます。
・・・これらのミュージアムは、またの機会に訪問したいと思います。