ミュージアム | すくらんぶるアートヴィレッジ

すくらんぶるアートヴィレッジ

●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●

・・・「かえる友の会」関西支部長として、ぜひ行っておきたい目的地へ


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-ほん4


本能寺大寶殿宝物館】◆

604-8091京都市中京区寺町通御池下ル下本能寺前町522075-231-5335

本能寺は景勝の地京都鴨川のほとりに法華宗の法灯を掲げ続けている。しかし本能寺が日蓮大聖人の教えを弘める法華宗本門流の大本山であることは以外と知られていない。 本能寺は日隆聖人を御開山と仰ぎ『法華経』の根本義と日蓮大聖人の真意を説き明かし、お題目を唱えて信じ行ず大霊場である。日蓮大聖人の教えの真意は『「法華経」の本門八品に説かれた上行所伝本因下種の「南無妙法蓮華経」に全身全霊を捧げ、本門のお題目を信じ唱えるほか私どもの成仏の道はない』という教えである。人々に「南無妙法蓮華経」を信奉させ、口に唱えさせることが日蓮大聖人の生涯の念願であった。 御開山の日隆聖人は応永二十二年(一四一五)伯父にあたる日存・日道両聖人と共に妙本寺(現在の妙顕寺)の綱紀の粛清に務めたが志を遂げられず同寺を去った。そして油小路高辻と五条坊門の間に本応寺を建立し、日蓮大聖人の念願である人々の口に「南無妙法蓮華経」を唱えさせるべく教化を始めた。本能寺は一四一五年から一四三二年までは「本応寺」と寺名を使い、一四三三年から現在まで「本能寺」を使用している。その理由は「本門八品相応能弘之寺」の言葉より本応寺・本能寺という寺名にした。また現在能という寺を使用しているが、これは五度も火災に遭遇したので匕(火)を嫌い替えたものである。上杉本の「洛中洛外図屏風」では「本能寺」と書かれている。現在本能寺には、災禍の中、先人たちが命を賭けて守り抜いた宝物が伝わり宝物館にて展示公開しています。


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-ほん5


「三足の蛙の香炉」

戦国時代の武将、織田信長が、この本能寺に宿泊中に家臣の明智光秀に謀反を起こされ自害に追いやられます。(本能寺の変)この、謀反の前夜、本能寺にあった「三足の蛙の香炉」が突然鳴き出し信長に命の危機が迫っていることを知らせたと伝えられています。この「三足の蛙の香炉」は武将達が活躍した時代よりも遥か昔に中国から伝来し、時を越えて本能寺に伝わったもので「蟾蜍センジョウ」と呼ばれる中国の幻獣になります。中国では、この幻獣が現れると長寿と吉祥をもたらすといわれています。

・・・少し重いのですが、もちろん「三足の蛙」文鎮を購入しました。


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-ほん1


◆【京都文化博物館】◆

604-8183京都市中京区三条高倉075-222-0888

京都の歴史と文化をわかりやすく紹介する総合的な文化施設として、昭和63年(1988)10月にオープンいたしました。生活の中から芽生え、自発的で自由な発想のもとで育ってきた京都文化を全体的に紹介し、優れた伝統文化に触れるとともに、新しい文化の創造力を呼び起こすための文化の広場です。


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-ほん2


京都は、山紫水明に恵まれた千年の都として栄え、先人の不断の努力によって高められ、蓄積された優れた伝統文化が今もなお脈々と生き続けております。伝統文化は、科学技術や社会の刺激を受けながら、現代人の感覚、人間らしさの追求を絶えず続けることにより、現代社会に価値ある文化として生かしていくことができるのであり、その努力こそが、新しい文化を創り出すことにつながるものであると思います。京都府京都文化博物館は、生活の中から芽生え、自発的で自由な発想のもとで育まれてきた京都文化を紹介し、優れた伝統文化に触れるとともに、新しい文化の創造力を呼び起こすために作られた総合的な文化施設であります。京都の歴史と文化が通覧できる親しみやすい歴史博物館、京都ゆかりの日本画家、洋画家、彫刻家、工芸家などの作品を展示する美術館、京都の特性を生かした映像文化を展示・上映するフィルムライブラリーセンターの3つの機能を併せ持った「常設展」のほか、年間を通して斬新で魅力ある企画による「特別展」を開催しています。また、重要文化財に指定されている明治の名建築・旧日本銀行京都支店を博物館のシンボルとして広く公開・活用しています。さらに、作家や団体等が展覧会などを行う「貸展示室」や江戸時代末期の京の町家の表構えを復元した「ろうじ店舗」でのショッピングやお食事など、お越しになった皆様に楽しく過ごしていただけるよう工夫をこらしています。京都の町中にあるこの博物館が、京都文化を理解する先駆けとして、一人でも多くの方々に訪れていただけるよう願っております。


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-ほん3


日本銀行京都出張所は1906年(明治39)にできたこの建物に引っ越してきました。1965年(昭和40)に移転するまで、まちの銀行としてとてもにぎわっていました。この建物は日本銀行京都支店の新築移転のために辰野金吾とその弟子・長野宇平治が設計し、明治を代表する洋風建築として昭和44年に国の重要文化財に指定されました。建物の前を東西に延びる三条通は、江戸時代に東海道の西の起点として賑わったところで、近代になると集書院、郵便局、商店、銀行、保険会社などが建てられました。1912年(明治45)に四条通、烏丸通が拡幅されると、その賑わいは移ったが、それがかえって多くの歴史的建造物を残すことになりました。現在、三条通の新町通から寺町通の一帯は京都市の「界わい景観整備地区」に指定されています。


・・・「辰野金吾」さんは偉大です。