中之島(25)
京街道つながりで・・・
■東海道五十七次
東海道五十三次は、江戸時代に整備された五街道の一つ、東海道にある53の宿場を指す。古来、道中には風光明媚な場所や有名な名所旧跡が多く、浮世絵や和歌・俳句の題材にもしばしば取り上げられた。なお五十三次と称す場合は京都までの場合であり、さらに大阪までを加えて東海道五十七次とする説もある。また、奈良時代の律令制による東海道では、延喜式によると、伊勢の鈴鹿駅から常陸の雄醍(おさか)駅まで55駅が設置されている。東海道の延長線として京街道(大坂街道)の宿場が元和5年(1619年)に設置された。京街道の宿場を含めて東海道五十七次と呼ぶ場合もある。数は品川宿からの通し番号である。53大津宿⇒54伏見宿⇒55淀宿⇒56枚方宿⇒57守口宿⇒高麗橋
東海道から京街道に入る場合は三条大橋は通らず髭茶屋追分(大津市追分町)で南西に折れるルート(大津街道)をとるため、大津宿の次は伏見宿となる。
滋賀県へ・・・名神「京都東」インターは、位置としてほぼ「髭茶屋追分」にあたり、そこから「西大津バイパス」から「湖西道路」に入る。
■湖西道路
滋賀県大津市荒川から同市下阪本に至る延長約16.7kmの自動車専用道路。1986年(昭和61年)6月25日、日本道路公団が管理する一般有料道路として供用を開始したが、割高感(全線で普通車830円)から利用が低迷したこともあり、国は2005年(平成17年)3月25日、公団民営化を契機に178億円(うち滋賀県が62億円を負担)で買収し、2005年8月1日0時より通行料が無料となった。無料開放後は、以前から慢性的な渋滞が発生している国道161号から流入する車両が急増したが、暫定2車線のため、特に休日には上下線とも仰木雄琴ICを先頭に渋滞が発生するほどになっている。また、無料開放後は全線で追い越し禁止とされたが、正面衝突事故が多発しているため2008年(平成20年)4月、仰木雄琴IC - 真野IC間の上り線に「ゆずり車線」が設置された。2007年(平成19年)1月、和迩ICのフルIC化工事に着手し、2009年(平成21年)3月30日に供用を開始した。
実は、どうしても年老いた母を連れて行きたい所があって・・・
■満月寺浮御堂/大津市本堅田1-16-18
滋賀県大津市堅田、琵琶湖畔の臨済宗大徳寺派海門山満月寺にある、湖上に突き出た仏堂。近江八景「堅田の落雁」で名高い。堅田の浮御堂の通称でも知られている。伝によれば、源信(恵心僧都)(942年 - 1017年)が比叡山横川から琵琶湖をながめると、毎夜、その光明の赫々(かくかく)たるを怪しみ、網でこれを掬(すく)いとらせると、1寸8分の黄金の阿弥陀仏像であった。よって魚類殺生供養のために阿弥陀仏像1体を造り、その体内にこれをおさめ、1000体の阿弥陀仏像をも奉安し、浮御堂を創建したという。荒廃したときもあったが、桜町天皇(1720年 - 1750年)(在位1735年 - 1747年)は禁中の能舞台をたまわり、これを再興した。松尾芭蕉(1644年 - 1694年)も訪れた。先代の堂は昭和9年(1934年)に室戸台風によって倒壊、現在の堂は昭和12年(1937年)に再建されたものである。室戸台風の直後に竜巻も近くで発生している。
(芭蕉)鎖明けて月さし入れよ浮御堂
途中、休憩がてらに立ち寄った名所・旧跡も喜んでくれて・・・
遠路、琵琶湖まで来て良かったなあ・・・
■居初氏庭園/大津市本堅田二丁目12-5
滋賀県大津市堅田の琵琶湖畔にある日本庭園。園内にある茶室「天然図画亭」(てんねんずえてい)から、天然図画亭庭園とも呼ばれる。国指定の名勝。堅田の豪族三家の一つである居初氏の邸宅に伝わる茶庭で、その縁者である北村幽安とその師である茶人藤村庸軒により、天和元年(1681年)以前に築かれたとされる。庭園は書院と繋がる茶室「天然図画亭」の東側と北側に位置し、琵琶湖の浜辺である東側は石垣により境界を成す。 天然図画亭からの眺望は琵琶湖と対岸の三上山を中心とする湖東の連山が借景となるよう、湖西岸の畔という立地を生かした設計がなされている。昭和56年(1981年)6月11日に国の名勝に指定された。
・・・残念ながら見学できなかった。