中之島 | すくらんぶるアートヴィレッジ

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中之島(11)


いろいろ探し続けた成果・・・


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-あさ1


この雑誌を発見した時は、本当に飛び上がりました。


季刊「おおさかの街」

1985年1月創刊。大阪にこだわり活動する人々をたずね、語り合って、その心を読者とともに共有する。大阪の歴史と現在をふまえ、環境の良い街づくりをめざし、クロウトとシロウトの両方の目をもって、文化状況にも迫ってゆく。大阪を悪くする動きとは、けんかも辞さないが、大阪独善主義には陥らない。同時代を生きるすべての人々へのメッセージを送る。2002年4月発行の50号を期に紙面の大改革を行う。


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-あさ2


神像復原~かえってきたシンボル鎚起師浅野美芳

公会堂の正面、屋根の上には、体の神像がのっている。戦時中の金属供出で取り外されたと伝えられる銅製の「ミネルヴァ」と「メルキュール」。今回、新たに復原し、創建時の姿がよみがえった。20カ月以上かけて、この製作に取り組んだのは、京都の鎚起(ついき)師・浅野美芳さんだ。鎚起とは、金・銀・銅などの金属板を鎚でたたいて打ち延ばし、カーブをつくって立体にしていく伝統的な金属加工の技。浅野さんは鎚起師の家に生まれ育ち、三代目として普段は茶道具や神仏具などをつくるほか、古墳から出土した金属製品の復元も手がける。どれも繊細な小宇宙だ。ところが公会堂の神像は、座った状態で高さ170cm強、等身大より大きい。「たまたま、作れる人を探しておられたとき、声かけていただいたのですが、こんなんやれるわけないと思いましたね。まず、デカすぎる。それに、作る日数を考えたら、ほかに抱えてる仕事ができません」。そんな話も忘れかけた一年半後の200011月、橋本さんから改めてやってくれへんかと頼まれた。「ほかにする人がおらんかったんでしょう。できるかと聞かれたら、イヤやとは言えへんのがうちの代々で。けど実は納品の10日前まで、ほんまにできるやろかと思ってました」。


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-あさ3


半世紀以上も不在だった神像の情報は、きわめて少なかった。枚の古い写真と、取り外し跡から計算して作られたCGによる立体実測図。橋本さんでさえ「これではアカンなあ」と言う資料をもとに、まずは粘土で模型を作る。10分の一の模型作成に約カ月。写真はどれも、建物全体を写したものにたまたまのっかっているだけで、像自体正面から撮ったものはない。だから作っては上の方に置いて眺め、写真と比べてチェックした。手に何を持っているのか、マントや羽はどうなっているのか。事典などでそれぞれの神のアイテムを調べ、何とおりかのなかから、写真に近い形のものを選ぶ。「見比べる実体がないので、あーでもない、こーでもないと。『こうや』て誰も断言できませんから。橋本さんは粘土の実寸原型をこしらえるまで、週に一回、日曜ごとに来はりました」2001月上旬、粘土で原寸大の模型ができた。それをレーザーで実測し、CG再現の図面と照合、ズレているところを微調整する。月下旬に粘土完成。石膏で型取りし、樹脂におきかえる。「問題は金取(かなど)りでしたね。どれだけの大きさをたたけば、この大きさに仕上がるか。大きすぎたらロスがでるし、小さくては継がんなん。その点、粘土から自分らでやったから、質量の感覚がわかって良かったです。普通はよそで型をとってもらうんですよ」銅板は最大で×1m。これをどう切るか、樹脂の型を採寸して決めていく。たとえば顔の部分は、直径が83.4cmの丸板をたたいた。継ぎ目があると時が経てば筋になるので、頭一個は一枚でと、こだわった。厚さ2.5mmの銅板をたたいて、2.2mmくらいになる。屋外の神像だけに、均一でないと強度の弱いところがでるし、調子がそろっていないと見た目のバランスも悪くなる。「地金(じがね)として普段扱う金属板の厚さは、最大でも0.8mmです。造形作家なら厚い板でも作りますが、作品として納得できればいいので妥協が起こる。今回はそれではダメで、確実にこの姿へもっていかんなん」。いくつに分けて、どう組み立てていくか。どんな道具を使うか。全体の設計こそ、確かな技術で発注者の意図に応える心意気ならではだ。パーツは、一体あたり八.一○個になった。これを少しずつ仕上げていく。組み立てては眺め、カメラに収めて古写真と比べる。またバラしてたたいて調整する作業の繰り返し。ある程度形ができてからは、あて金が使えない。内側に松脂まつやにを塗って、へこまないようにした。頭一つで十数キロの重さ。でも一ミリ狂ってもバランスは崩れるし、ボルトの締め具合で、像は傾く。しかも、いったん固定したら取り返しがつかない。最終的に台座に組み立てたとき、うまくまとまってくれるかどうか。ギリギリまでプレッシャーを感じていた浅野さんに、橋本さんからは納品直前まで、マントの形や羽の長さが「なんかちがうで」なんて注文がきた。「最後の最後まで、たたいてました」。雨が入らないように、鳩や小鳥が止まらないように、工夫もこらした。内部にはステンレスのパイプをとおしてしっかり固定、台風でも吹き飛ばされない。200226日納品。体の神像は、技能の発展(ミネルヴァ)と商売繁盛(メルキュール)を願って、末永く大阪を見守ってくれるだろう。


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-あさ4


浅野美芳(京都市東山区)

1943年京都市生まれ。六世高木治良兵衛としての釜師と、鎚起師の二つの立場で創作に励む。今日あるんは、「難しくても断るな」のおかげやと思います。洛東今熊野の仕事場に、仕上げにかかる浅野の軽快な槌音が響く。槌起(ついき)は、金、銀、銅などを叩き伸ばして無限といえるかたちを生み出す技法であり、そのかたちの数だけ道具があるといって過言ではない。3代つづく鎚起師の浅野の仕事場には、天井まである棚に大量の金鎚、木槌、鳥口、当て金が積まれる。多くが祖父、父からのもので、多様な技法とともに受け継いできた。それでも無い道具は自分でつくる。修理や復元の仕事は、当時のつくり手より高い技術を要求されるので、つくる方法だけではなく、使い手やその時代背景にも思いを馳せ、深く解明することに努める。「頼まれたら断るな」という家訓を守り、数々の難題に不可能と思われる仕事も見事に成し遂げてきた浅野にも、ひとつだけ心残りがある。「30年ほど前にどうしても作り方がわからなくて途中であきらめた金の数珠があります。今ならできると思うので、もう一度挑戦したいと思てます」


メルクリウス(Mercurius)

ローマ神話に登場する商業神。英語読みマーキュリー(Mercury)でも知られる。ラールたち(ラレース)の父。祭日5月15日は商人の祝日である。名前はラテン語 merx (商品)との関係が指摘されているが、どちらが語源であるのかは不明。メルクリウスの神殿は紀元前496年にアウェンティヌス丘の上に建てられたとされるが、これはローマの聖所ポメリウムの外にあったため、元からローマにいた神ではなく、外部から来た神と考えられている。ローマ暦では、水曜日をメルクリウスの日 Diēs Mercuriī(ディエース・メルクリイー)としている。のちにギリシア神話のヘルメースと同一視される。そのため、ユーピテルとマイアの子、神々の使者、科学・商業・盗人・旅人の守り神、翼のある帽子とサンダルを身につけ、アポロンからもらった匹の蛇が巻き付いた杖(カドゥケウス)を持った若者の姿で描かれるなどといった、ヘルメスの性質がそのまま受け継がれている。



すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-あさ5


ミネルウァ(Minerva)

詩・医学・知恵・商業・製織・工芸・魔術を司るローマ神話の女神。英語読みはミナーヴァ。俗ラテン語などに基づくミネルヴァという読みでも知られる。芸術作品などでは、彼女の聖なる動物であり知恵の象徴でもあるフクロウと共に描かれることが多い。音楽の発明者でもある。アテナイの守護神、知恵と武勇の神様アテナは槍と楯で武装しています。