ジジ・オラマ | すくらんぶるアートヴィレッジ

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ジジ・オラマ物語(2)



制作にあたってのコンセプトは・・・

①大人が趣味で楽しむ「ジオラマ」(静)ではなく、孫とジジがいっしょに作ったり遊んだりできる「ジジ・オラマ」(動)であること。


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-おら1  


②当然、身近な材料や廃材などを創意工夫した造形活動であり、これらの活動を通して図工美術の基礎学力・基本技術が身につくこと。


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-おら2  


③理念は・・・バウハウスBauhaus

1919年、ドイツのヴァイマールに設立された、総合的造形教育機関。建築家ヴァルター・グロピウスが初代学長を務めた。グロピウスは、14年の終わり頃から、彼自身が学長に推薦されていた、ヴァイマール美術学校の改組案を練り始め、美術学校と隣の工芸学校を統合し、建築部分を新しく加えるかたちでバウハウスを開校させた。ここでいう「総合」あるいは「総合的造形教育」とは、絵画、彫刻、諸工芸、建築(後に写真も加わる)に関するさまざまな訓練を、一連の過程と見なし、行なうことを意味する。開校にあたって公表された「バウハウス要項」のなかで、グロピウスが記した有名な文句、「すべての造形芸術が最終的にめざすところは完成した建築にある!」はしばしば引用され、バウハウスの教育目標が建築にあったかのように解釈されることがある。しかし、造形の集大成である建築をもとに調和のとれた造形と、芸術と工芸への見直しを促していたと考えるのが正しい。その教科課程はヨハネス・イッテンによる「予備課程」を経て、金属、陶器、家具、織物などの七つの工房で「専門教育」を受けた後、最終段階である「建築教育」へ進むことになっていた。26年にデッサウ校舎に移転。33年にはナチス政権の圧力で閉校を余儀なくされる。閉校までの活動はデザインや建築の分野だけでなく、20世紀芸術と造形教育に大きな影響を与えた。バウハウスはドイツ語で「建築の家」を意味し、中世の建築職人組合であるバウヒュッテ(Bauhütte建築の小屋)という語をグロピウスが現代風の表現にしたものである。



・・・すなわち、「すべての造形活動(図工美術)がめざすところは、ジジ・オラマ(建築⇒町づくり)にある!」というコンセプトなのです。


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-おら3  


④実際に制作開始の引き金になったのは「ディノタンク」でした。

戦車怪獣『恐竜戦車』とは、ウルトラセブンに登場した怪獣である。尚、劇中ではキリヤマ隊長によって『恐竜タンク』と呼ばれている。下半身の戦車部分は別作品(東宝映画)で使用された61式戦車の流用。恐竜の着ぐるみは後にリッガーに改造されている。



すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-おら4

息子から「ディノタンク」をプレゼントされた孫が、口から火を吹かせて欲しいというので、紙を切ったり、マッチ箱で簡単な家や道も作りました。


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-おら5  


⑤冬に購入した「リビングコタツ」の段ボール箱は、そのままジオラマに使えそうなので大切に保管してありました。とりあえず、その中にプラレールを敷いてみました。